はじめに
現代の職場において、ハラスメントは深刻な問題として認識されています。
多くの企業が外部相談窓口を設置し、被害者のサポートに努めていますが、相談者の中には「報告しなくてよい」と言う人が少なくありません。
なぜ相談だけで終わらせようとするのか、そしてどうすれば適切な対応につなげられるのか。
長年ハラスメント相談に携わってきた経験から、この問題について考察してみましょう。
1.「報告しない」選択の背景
相談者が報告を躊躇する理由は多岐にわたりますが、最も多いのは行為者(加害者)からの報復への恐れです。
ハラスメントの被害に遭った後、さらなる不利益を被ることへの不安は非常に大きいものです。
加えて、職場の人間関係への影響や自分の評価、昇進への悪影響を心配する声も少なくありません。
問題が大きくなることへの抵抗感や、「言っても変わらない」という諦めの気持ちを抱く人もいます。
これらの懸念は決して根拠のないものではなく、過去の経験や周囲の事例から、報告することのリスクを強く感じている人も多いのが現状です。
2.相談窓口の役割と効果
ハラスメント相談窓口の一次的な役割は、被害者の話を聞いて内容を整理し、調査を望むのか、またその場合どの程度まで自分の情報を開示いてよいのか、相談者の意思を確認して、職場の担当部署につなげることです。
問題解決のためのカウンセリングではありません。
よいアドバイスがもらえるのではないかと期待してご相談いただくことも多いのですが、ハラスメント外部相談窓口の担当者は、会社から報酬を受けて仕事をしているため、場合によっては利益相反の問題が起こるので、最初に書いたような役割に徹し、通常、「どのようにふるまったらよいか」というアドバイスはしません。
残念ながら後に相談者と会社が対立することもあり、場合によっては訴訟沙汰になる場合もあるからです。
この点は、ご相談の最初に必ず確認します。
しかし、アドバイスがなくても、1回50分という相談時間の間、誰かに真剣に耳を傾けてもらえるという経験は、相談者にとって非常に大きな意味を持ちます。
多くの相談者は、話をすることで心理的な負担が軽くなったと感じます。
自分の状況を整理し、客観的に見つめ直すきっかけにもなるのです。
この過程で感情が整理され、ストレスが軽減されるというカタルシス効果も期待できます。
さらに、自己肯定感が回復し、問題解決に向けた意欲が向上することも少なくありません。
つまり、相談という行為自体が、相談者の心理的な支えとなり、自ら問題に対処するエネルギーを生み出す源となっているのです。
3.報告につなげることの重要性
とはいえ、相談だけで終わらせず、適切な報告と調査につなげることは非常に重要です。
まず、個人の問題解決という観点から見ると、被害者の権利を守り、適切な対応を受ける機会を得ることができます。
また、組織全体の視点では、同様の事案の再発を防ぎ、ハラスメントに対する会社の姿勢を明確にすることで、健全な職場環境づくりにつながります。
さらに、報告されたケースのデータを蓄積することで、ハラスメントの実態把握と効果的な対策立案に役立てることができます。
しかし、相談者の意思に反して報告を強制することはできません。
相談者の気持ちに寄り添いながら、報告することのメリットを丁寧に説明する必要があります。
4.報告への不安を軽減する方法
相談者の報告への不安を軽減し、適切な対応につなげるためには、いくつかの効果的なアプローチがあります。
まず、報復行為は絶対に許さないという会社の方針を明確に伝えることが重要です。
具体的な保護措置や、報復行為があった場合の懲戒処分などを説明することで、相談者の安心感を高めることができます。
次に、調査のプロセスや情報の取り扱い方法を詳しく説明し、プロセスの透明性を確保することが大切です。
相談者のプライバシーがどのように守られるか、誰がどのように関与するのかを明確にすることで、不安を軽減できます。
また、可能な範囲で相談者の意向を尊重した対応方法を提案することも効果的です。
完全な匿名性を保つことは難しいですが、名前を出さずに状況だけを報告する、複数の事例をまとめて報告するなど、柔軟な対応を検討することができます。
さらに、調査中や調査後のサポート体制について説明することも重要です。
相談窓口の継続的な利用や、必要に応じて社内の信頼できる上司や人事部門との連携など、相談者を孤立させない体制があることを伝えることで、安心感を与えることができます。
加えて、過去の事例(個人情報に配慮した上で)を紹介し、報告によってポジティブな変化が起きた例を伝えることも有効です。
これにより、「言っても変わらない」という諦めの気持ちを軽減できる可能性があります。
5.相談者の自己決定を尊重しつつ、適切な対応を促す
最終的に報告するかどうかは相談者自身が決定することですが、相談員として留意すべき点がいくつかあります。
まず、相談者の気持ちに寄り添い、傾聴の姿勢を保つことが大切です。
その上で、客観的な情報提供と選択肢の明確化を行い、相談者の自己決定を支援する姿勢を示すことが重要です。
また、継続的なサポートの用意があることを伝え、時間をかけて考える余地を与えることも効果的です。
「調査してもらったほうがすっきりするし、職場での立場が悪くなるようなことはない」と納得してもらうためには、一回の相談で結論を急がず、必要に応じて複数回の相談機会を設けることも有効な方法です。
6.組織全体でのハラスメント防止に向けて
ハラスメント相談窓口の効果を最大限に発揮し、組織全体でのハラスメント防止につなげるためには、包括的な取り組みが重要です。
まず、ハラスメント防止に対する経営層の強いコミットメントを示し、全社的な取り組みとして位置づけることが不可欠です。
次に、ハラスメントに関する理解を深め、予防するための研修や啓発活動を定期的に実施することが大切です。
同時に、相談窓口の存在と利用方法を全従業員に周知し、気軽に相談できる雰囲気づくりを行うことも重要です。
さらに、相談事例(個人情報に配慮した上で)を分析し、組織の課題発見と改善につなげるフィードバックの仕組みを作ることが効果的です。
そして、報告された事案に対しては、公正かつ迅速な調査と対応を行い、その結果を適切にフィードバックすることが求められます。
おわりに
ハラスメント相談窓口は、被害者の声を聴き、適切な対応につなげる重要な役割を担っています。
相談だけで終わらせるのではなく、組織全体の問題解決と予防につなげることが理想的です。
そのためには相談者の不安や懸念に丁寧に対応し、信頼関係を築くことが不可欠です。
相談員は、傾聴と共感の姿勢を保ちつつ、適切な情報提供と選択肢の提示を行い、相談者の自己決定を支援することが求められます。
同時に、組織全体でハラスメント防止に取り組む姿勢を示し、安心して報告できる環境づくりを進めることが重要です。
一人ひとりの声に耳を傾け、適切な対応につなげることで、より健全で生産的な職場環境を実現できるはずです。
ハラスメント相談窓口の役割を最大限に活かし、誰もが安心して働ける職場づくりを目指していくことが、これからの企業に求められる重要な課題であると言えるでしょう。