筆者は多くの企業からパワハラのご相談を受けています。
きょうは、その事例をヒントにしたパワハラ事案をご紹介します。
ただし、登場人物のプロフィールや、細かい点はかなり脚色が入っており、また、見ていたわけではないので、小説風に書いてあるのは筆者の想像です。ご相談された事例そのままではありません。

その日はどうしても早く帰りたかった

ヤマダさんは30代前半の会社員です。
中途採用でいまの会社に入社して、もうじき3ヶ月になります。
試用期間が終わり、来月から本採用になることになっています。

ヤマダさんの所属するチームでは、大口の契約がとれてお祝いムードです。
しかも、きょうは金曜日。
「よし、きょうはみんな定時であがって、祝杯をあげよう! チームの4人だけだから、短い時間なら飲みにいってもいいだろう」と、チームリーダーは上機嫌です。

しかし、残念ながらヤマダさんには、どうしても飲み会に行けない事情がありました。

「え、困りますよ。きょうは、家で用事があるので、残業せずに定時で帰りたいと先日リーダーにお願いしたじゃないですか。
 けさも、念の為確認したら、『わかったわかった』と言ってましたよね?」

実はきょうは結婚記念日で、ふだんなら行けないような有名レストランを予約してありました。
慣れない仕事で疲れているヤマダさんを気遣い、パートナーは家事をいままでより多く分担してくれていました。
感謝の気持ちをこめて、パートナーが行きたいと言っていたレストランを予約していたのに、職場で飲み会になったからと、急にキャンセルすることなどできません。

しかし、ヤマダさんがそう言ったとたん、みるみるチームリーダーの形相が変わり、どなられてしまいました。

「何言ってるんだ! せっかくの祝いの席なのに、ひとりだけ行かないなんて許されるわけないだろう!
 家の用事と、仕事とどっちがだいじなんだ?
 だいたい君はふだんから協調性がないよな。こんなことでは、仲間はずれにされてもしかたないよ。
 本採用になっても、最低の評価しかつけられないな。
 もういいよ! 飲み会に行かないのなら、月曜から来なくていい!」

あまりの暴言にヤマダさんは真っ青になって立ちすくんでしまいました。
ほかのふたりのチームメンバーも助け舟を出してくれるでもなく、下を向いてしまっています。

ちょうど定時のチャイムがなり、ヤマダさんは、震える声で「お先に失礼します」と言って、ひとりオフィスを出ました。
ドアを開けて出ていくヤマダさんの後ろから、チームリーダーの「ばかやろう! 月曜からもう来るな!」という怒声が追いかけてきました。

大きな精神的衝撃

そんなことがあり、せっかくの結婚記念日のデートも楽しめるわけがありません。
顔色が悪い上に、言葉少ななヤマダさんを心配するパートナーには「ちょっと体調が悪くて」と言い訳するしかありませんでした。

ベッドに入ってからも、どなっているリーダーの形相が目の前にちらつき、なかなか眠ることができません。
「先日の人事部長との面談で、『よくやってくれているので、とくになにもなければ、このまま本採用になります』と言われたんだけど、ひょっとして、リーダーにあることないこと言われて、本採用がなくなるのでは?」と考えてしまい、気分は落ち込むばかりです。
予定通り本採用になったとしても、あのリーダーの下でこれからも仕事をすると考えるだけでも、気分が悪くなってきます。

翌日になって、チームリーダーからは謝罪のメールが入り、ほかのメンバーからも、LINE や電話の着信がありました。
しかし、とても対応する気持ちになれず、放置していました。

月曜の朝、出かける時間になっても着替えようともせずぼーっとしてるヤマダさんを見て、不審に思ったパートナーに問い詰められて、金曜のできごとをすべて話してしまいました。

「せっかく入った会社だし、仕事は続けたいんだけど、あのリーダーの下で働く自信がない」と、ヤマダさんが言うと、パートナーは「会社にパワハラを受けたと報告して、異動させてもらったら?」と提案し、「とりあえず、きょうは具合が悪くて休むと連絡しておくから」と、ヤマダさんに代わって会社に欠勤の連絡をして、心配しながら自分の勤め先に出勤していきました。

パワハラ? 1回どなられたくらいで、パワハラと認められるんだろうか?
せっかく希望の部署で仕事をしているのに、なんで自分が異動しなくてはならないのか?
異動できたとしても、たった3ヶ月で異動なんて、周りからは自分がなにかしでかしたと見えるんではないだろうか?

等等、ヤマダさんの心配は尽きません。不安や怒りがぐるぐると頭の中にうずまき、家でじっとしているのに気持ちが休まらず、へとへとになってしまいます。

始業から2時間くらい経った頃、人事部長から「チームリーダーから、理不尽にどなりつけてしまい、謝罪メールにも返事がないと報告が来ています。ヤマダさんからきちんと話が聞きたい」と連絡が入り、在宅のまま、リモートで面談することになりました。

面談したところ、人事部長はことのてんまつと「仕事は続けたいが、いまのチームでは無理なので、異動させてほしい」というヤマダさんの言い分に対して、「会社として調査します。とりあえず3日間特別休暇にするので、休養して気持ちを落ち着けてください」と回答してきました。

この事案はパワハラに該当するのか?

さて、会社は事実関係をヒアリング調査し、この事案をパワハラに該当すると結論づけました。

しかし、ヤマダさんも心配したように、「一度だけの暴言」がパワハラに該当するのでしょうか?
処分についての議論の中で、社内からも同じような疑問が出てきました。

ヤマダさんの会社ではハラスメント防止規程が定められており、その中ではパワハラはこのように定義されています。

同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為をいう。

これは、「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ報告」(2012年)の中にあるパワハラの定義で、多くの会社の就業規則(ハラスメント防止規程)にも採用されています。

また、2022年4月から中小企業にも適用されるパワハラ防止法には、このように定義されています。

職場において行われる①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの3つの要素を全て満たすものをいいます。

ハラスメントの定義|ハラスメント基本情報|あかるい職場応援団 -職場のハラスメント(パワハラ、セクハラ、マタハラ)の予防・解決に向けたポータルサイト-

どちらにも「継続的に」「頻繁に」「多数回」等の限定はありませんね。

とはいえ、パワハラが問題になるとき、その行為の継続性や頻度は必ず考慮されます。ひとつひとつの言葉や行為はそれほど大きな打撃を与えなくても、継続して、多数回、頻繁に行われることで、「精神的・身体的苦痛」や「就業環境の悪化」がひきおこされるからです。

しかし、1回きりの行為がパワハラに該当しないということではないのです。

パワハラ指針(2020年1月)の告示に伴って、その運用について出された厚労省通達には次のように書かれています。

指針2⑹は職場におけるパワーハラスメントの3つ目の要素である「労働者の就業環境が害される」の内容と判断基準を示したものであること。
「平均的な労働者の感じ方」を基準とするとは、社会一般の労働者が、同様の状況で当該言動を受けた場合に、就業する上で看過できない程度の支障が生じたと感じるような言動であるかどうかを基準とするという意味であること。
なお、言動の頻度や継続性は考慮されるが、強い身体的又は精神的苦痛を与える態様の言動の場合には、一回でも就業環境を害する場合があり得るものであること。

労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律第8章の規定等の運用について

チームリーダーは、新人のヤマダさんのめんどうを見ながら苦労して成果をあげたのに、当のヤマダさんが喜んでいないと感じて、かっとしてしまったのかもしれません。

また、もう少しふたりの間に人間関係ができていれば、ただ「家の用事」と伝えるだけではなくて、結婚記念日のデートやそれにまつわる思いをヤマダさんがチームリーダーに語っていたかもしれません。
そうすると、「飲み会に行きたくない」と聞いたときのリーダーの感じ方もだいぶ違ったのではないでしょうか。

リーダーにはリーダーの思いがあったのかもしれませんが、それはそれとして、自分がどなった暴言の責任はとらなくてはなりません。

このリーダーだけでなく、社内に「一度きりでも、相手に強い苦痛を与えて就業環境を害すれば、パワハラとなりうる」ということを徹底させる必要があるでしょう。