知り合いの人が、あなたの目の前を通ったとします。

「◯◯さん! おはようございます」

と、あなたは元気にあいさつしました。
でも、相手は聞いたようなそぶりも見せずにさーっと通りすぎてしまった。

こんなとき、あなたはどう思いますか?

驚き、きまり悪さ。
そして、「無視された!」と感じて、気を悪くするのではないでしょうか。

あなたの中では、「◯◯さんに無視された」というのが、この時点では、「事実」として受け止められています。

そして、そこから「不愉快」「怒り」という感情が引き起こされます。

でも、ちょっと待って下さい。
「無視された」というのは、ほんとうに「事実」でしょうか。

実際おこった出来事を書いてみると、こんな感じではないでしょうか。

1.あなたの前を◯◯さんが通った。
2.あなたは声をかけた。
3.◯◯さんは、返事をせず、そのまま通り過ぎた。

返事をしなかった理由はいろいろ考えられます。

  • 聞こえなかった。
  • 考え事に夢中になっていて気づかなかった。
  • あなたのことを快く思っていなかったので、意地悪のために無視した。
  • あなたのことが好きなので、恥ずかしくてあいさつできなかった。
  • ◯◯さんだと思ったのは、あなたの見間違いで、ほんとは知らない人だった。

最後のほうにいくと、だんだん苦しくなってきますが、可能性としてはほかにもいくらでも考えられますよね。

でも、実際のところは◯◯さんに聞いてみないとわかりません。聞いてみても、ほんとうのことを言うとは限りません。

たくさんの可能性の中から、そしてほんとうの答えがわからない中から、あなたが直感的に選んだ答えが「無視された」です。

それは、上に書いたほかの「可能性」と同じ、ひとつの「解釈」にすぎないのです。

それなのに、自分で勝手に自分の気分が悪くなるような「解釈」を見つけ出して、自分自身で不愉快になるタネをみつけているのです。

あなたがムッとしたとき、イライラしたとき、あなたをイライラさせた「事実」は、こんな形で「解釈」が含まれていることが多いのです。

ふだん、わたしたちはそれに気づかずに、自分の「解釈」を「事実」として受け取っています。それは自動的に行われていることで、目の前で起こっていることすべてに対して、「事実」と「解釈」を分けましょう、なんていうのは現実的ではありませんね。

でも、だれかの行動であなたが不愉快な気分になった、怒りを感じた、というときは、ちょっと立ち止まって「それはほんとうに事実なのか? 自分の解釈が入っているのではないのか? ほかの可能性があるのではないのか?」ということを考えてみてほしいのです。

あなたを怒らせる解釈も、楽しい気分にさせる解釈も、実際のところは、ほんとうかどうかわかりません。

それならば、自分の心が落ち着く、楽しくなる解釈を採用したほうが、ムダな怒りで自分自身を痛めつけたり、まわりに八つ当たりして問題を大きくすることもなくなります。

「自分にとって都合のいい解釈」をあまりに信じこんでしまうと、ちょっとアブナイ人に思われそうですが、どちらも「解釈」であって「事実」ではない、という点を頭のすみに置いておくと、だいじょうぶですよ。