かつては、クマやイノシシの被害は「山の中」「林業や狩猟の世界」のイメージがありました。しかし昨今では、住宅街近くの雑木林や河川敷、放置された農地などにクマが出没し、自宅の庭や家庭菜園の畑で襲われたというニュースも珍しくありません。

さらに、犬にかまれる事故は、配達や営業で訪問した先の敷地内、現場作業時に飼い犬が放されていた住宅周辺、事業所の周辺での巡回・清掃など、いわゆる普通の町の仕事でも起こり得ます。

クマだけでなく、「動物に襲われたら労災か?」というテーマは、自然の中での仕事に限らず、配達員、訪問介護、営業、巡回・警備、清掃、点検、建設、農業など、非常に幅広い業務に関係し得る課題です。

この記事では、労災事故にくわしい社労士として、仕事中にクマ等の動物に襲われケガをした場合、労災として医療費や休業補償の給付が行われる条件を考え、被害に合わないための対策についてもお伝えします。

「業務遂行性」と「業務起因性」をどう見るか

労災保険上、仕事中のケガが業務災害として認定されるには、次の2つが基本的な要件です。

  • 業務遂行性
    労働者が、事業主の支配・管理下で、労働契約に基づく業務を行っていた状態かどうか。
    例:勤務時間内に会社の指示で現場に出向いている、営業・配達のルートを回っている、など。
  • 業務起因性
    起きたケガや病気が、業務に起因していると言えるかどうか。
    つまり「その仕事をしていたからこそ、被害に遭う危険が高まっていた」と評価できるかどうか、ということです。

クマやイノシシ、犬などに襲われたケースも、このふたつの物差しで考えます。動物の種類が何であれ、上のふたつの物差しを使い、「仕事とどの程度結びついているか」が判断の中心になります。

筆者が関わった「毒虫災害」労災事案

ここで、筆者が社労士として経験した実務事例を一つご紹介します。

ある顧客企業において、林野での自然調査の業務中、作業員の方の背中側から衣服の中へ毒虫が入り込み、広範囲にかぶれるという災害が発生しました。

このケースでは、次のように明らかに労災に該当すると考え、申請に必要な書類を作成・提出しました。

  • 会社から指示された自然調査のために林内に立ち入っていた(業務遂行性)
  • 林内に立ち入るという業務の性質上、毒虫と接触するリスクが高い状況だった(業務起因性)

労働基準監督署から、状況を尋ねる電話が1本入っただけで、結果として、この災害は業務災害として認定されています。

ここで重要なのは、「自然の中で起きたから労災になった」というより、その場所にいること自体が業務によって規定されていた、という点です。クマやイノシシ、犬、その他の動物との遭遇リスクも、同じロジックで考えます。

クマ・イノシシ・犬…どんな場面で労災になり得るか

では、「こんなときは労災になり得る」「ここは判断が分かれそう」というイメージをもう少し具体的に見てみます。

労災になり得る典型例

  • 林業・森林調査・間伐作業などで山林に入っている最中に、クマやイノシシに襲われた。
  • 農作業で山あいの畑や果樹園に出向き、作業中にクマ・イノシシと遭遇して負傷した。
  • スキー場のパトロールスタッフが、ゲレンデ内の見回り中にクマ被害に遭った。
  • 配達・営業・訪問介護などで顧客宅を訪問した際、敷地内で飼い犬にかまれて負傷した。
  • 会社が管理・使用している敷地内(工場・倉庫・事業所・社宅など)で、放し飼いの犬や野犬に襲われた。

これらは、業務内容や配置された場所から見て、その現場にいること自体が仕事の一部であり、動物との遭遇リスクが、一定程度予見可能だったと考えられるため、業務遂行性・業務起因性が認められやすい事例です

判断が分かれそうな例

  • 山間部の工事現場への移動中に、個人的な興味から、決められた経路を大きく外れて山に入り込み、その先でクマに襲われた。
  • 勤務中の休憩時間に、私的な登山やハイキングを兼ねて別の山道を歩き、そこでイノシシ被害に遭った。
  • 路上で仕事とは無関係に犬を触りに行き、飼い主の制止を振り切って接近してかまれた。

このような場合は、「事業主の支配・管理下と言える範囲を外れていたのではないか」
「業務と直接の因果関係があるか」という点が問題になります。

自宅や家庭菜園での被害はどうか

近年は、自宅の庭や家庭菜園の畑で、クマやイノシシに襲われる事案もあります。「自宅の庭でクマに襲われたらどうなる?」という疑問も当然出てくるでしょう。この場合、通常は「私生活上の事故」として扱われ、労災の対象にはなりません。

ただし、在宅勤務が増えている現在、「自宅が実質的に事業場の一部になっている」というケースもあり得ます。

例えば、会社の指示で在宅勤務中に、自宅敷地内で業務の一環として作業をしていたときに被害に遭ったというような場合は、個別に検討の余地が出てきます。

とはいえ、自宅の庭や家庭菜園での被害は私生活上の事故と考えるのが基本で、業務遂行性・業務起因性が認められる場面は相当限られるでしょう。

会社がとるべき安全配慮と予防策

クマやイノシシ、犬などによる被害がどこでも起こりうるものになってきた今、動物被害は、自然の中で働く専門業種だけの問題ではなくなっています。

「クマの被害なんて会社がコントロールできるわけがない」と思う方もいるでしょうが、労災は会社側に過失があろうとなかろうと、業務に関連する危険が実際のものになり、ケガや病気をすれば給付されます。「動物被害は会社の責任ではない」という弁明はできません。労災予防だけでなく、安全衛生の観点からも、会社として、できる限りの安全対策をし、従業員の被害を防ぐ必要があります。

そのためには、次のような対策を検討しましょう。

リスクの把握と情報収集

  • 作業現場周辺のクマ・イノシシの出没情報、自治体からの注意喚起を定期的に確認する。
  • 営業・配達などで頻繁に訪問するエリアについて、危険情報(野良犬・放し飼い犬・野生動物の目撃情報など)を共有する。
  • 林業・農業・スキー場などリスクの高い業種は、業界団体や労災防止協会が出している資料・事例を活用する。

安全対策の具体化

  • 山間部や林野での業務では、鈴・ラジオ・爆竹・忌避スプレーなど、クマ・イノシシ避けの装備を支給し、使用方法を教育する。
  • 単独行動を避け、複数名での行動や定時の位置確認など、運用面のルールを明文化する。
  • 朝夕など出没可能性が高い時間帯の作業を極力避ける、ルートを見直すなど、作業計画そのものを調整する。
  • 犬に関しては、訪問前に先方に「犬をつないでおいてもらう」「玄関先に出さない」などを依頼するルールを整える。
  • 社内敷地内に野良犬・野良猫・野生動物が入り込まないよう、フェンスや施錠、餌付け禁止などのルールを徹底する。

緊急時対応の整備

  • クマやイノシシと遭遇したときの行動マニュアル(不用意に近づかない・背を向けて走らない・ゆっくり後退する等)を共有し、短時間でもよいので教育の場を設ける。
  • 犬にかまれた場合の対応(傷の洗浄、医療機関受診、狂犬病・破傷風等の確認、飼い主情報の取得など)を手順化する。
  • 負傷時の連絡経路(誰に・どう連絡するか)、救急搬送の流れ、GPS位置共有などを、現場単位で具体的に決めておく。

労災・保険面の整え方

  • 常用労働者だけでなく、業務委託・一人親方などについても、必要に応じて労災保険の特別加入制度の活用を検討する。

動物リスクはどこででも起こりうることを前提にする

クマやイノシシ、犬などによる被害は、もはや「山奥で特殊な仕事をしている人だけの話」ではありません。
住宅街にクマが出る、自宅の庭にイノシシが現れる、配達先の門扉の内側で犬にかまれる──こうした出来事は、職種・業種を問わず、だれにでも起こりうるリスクになっています。

労災になるかどうかは、

  • その場にいることが仕事に由来しているのか(業務遂行性)
  • その仕事の性質上、その場所で動物に遭遇するリスクが高いと言えるのか(業務起因性)

この2点を考えることで、予想できます。ただ、実際に労災の対象になるかどうかの判断は労働基準監督署が行うので、会社側としては、グレーな場合でも労災申請はすべきです。

会社としてできることは「たまたま運が悪くて危険な動物に遭遇した」と片づけるのではなく、

  • 情報収集
  • 装備・行動ルール・教育
  • 緊急時対応の整備
  • 労災・保険面の備え

といった複数の層で、動物リスクに向き合うことです。

そのうえで、万一災害が起きてしまったときには、事故状況の記録や労災申請の手続きについて、企業側が主体的にサポートしていくことが、重要な役割になります。

従業員が安心して業務に打ち込めるよう、できる支援はすべて行うのが会社側の仕事と考え、対応を怠らないようにしましょう。