国会質疑で取り上げられたリスキリングと育児休業

昨年(2022年)10月、岸田首相が所信表明演説で、リスキリングの支援に今後5年間で1兆円の予算をつける、と表明してから、リスキリングという言葉がにわかに脚光を浴びています。

しかし、日本語で「学び直し」と訳されていることもあり、どうも「個人がスキルアップのために、いままでとは違う分野を自主的に勉強すること」と受け取られているようです。

1月27日の国会質疑の中で、育休とリスキリングが関連して論じられ、首相が「後押しする」と答弁したため、批判が相次ぎました。

「育児だけでせいいっぱいなのに、ムリムリ!」
「育休中にリスキリングのための学習をすることが当然の雰囲気になると困る」
「夫の育休で、妻に乳児の世話だけでなく、リスキリングをする夫の世話までのしかかってくる」

上のような批判内容も、もっともなことであるとはいえ、やはり、リスキリングを個人的なもの、自主的なものとしてとらえているなぁ、と感じました。

リスキリングとはなにか

リスキリングとはなにか、ということについては、よくまとまった資料が経済産業省のサイトにあったので、リンク先をご参照ください。

上記資料では、リスキリングは「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること」と定義されています。(太字は引用者)

また、同じリクルートワークス研究所が出している資料で、厚生労働省のサイトにある pdf では、次のように説明されています。

リスキリングの主語は何か
リスキリングは、企業側の戦略的ニーズに基づく新たなスキル習得、社会的要請に基づき官民連携で行うスキル習得という意味合いが強い

要するに、リスキリングの主語は企業だということですね。
場合によっては、企業のリスキリングを後押しする、行政ということもあります。

また、このような指摘もあります。

そもそもリスキリングとは何か。一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブ代表理事の後藤宗明氏は「自主的な個人の学び直しとリスキリングが混同されており、組織が実施責任を持つ『業務』であるとの認識が浸透していない」と指摘する。

リスキリングは「個人の学び直し」ではない。「技術的失業」を防ぐために 企業がやるべきこととは? ジャパン・リスキリング・イニシアチブ後藤氏に聞く【前編】 – TECHBLITZ

そう、リスキリングとは、業務なのです。
企業が従業員に対して、業務命令を出して行う、というのが本来の形です。

当然、リスキリングのための学習をしている時間は、賃金の支払いが必要になります。

育児休業中に業務を行うことができるか

今回の国会質疑で、育休中に行うリスキリングはどう考えられているのか、少し長いですが、代表質問の該当部分を引用して見てみましょう。

岸田総理、ぜひともご検討いただきたい新しいリスキリング案を、私からお示しいたします。
子育てのための産休・育休を取りにくい理由の一つが、一定期間仕事を休むことで昇進・昇給で同期から遅れを取ることだと言われてきました。
しかし、この懸念を乗り越えるために、産休・育休の期間にリスキリングによって、一定のスキルを身につけたり、学位を取ったりする方々を支援できれば、子育てをしながらもキャリアの停滞を最小限にしたり、逆にキャリアアップが可能になることも考えられます。
大胆なこども政策を検討する中で、たとえば、このような方々への応援として、リスキリングと産休・育休を結び付けて、産休・育休中の親にリスキリング支援を行う企業に対して、国が一定の支援を行うなど、親が元気と勇気をもらい、子育てにも仕事にも前向きになるという、2重・3重にボトルネックを突破できる政策が考えられるのではないでしょうか。
この政策によって、結婚・育児期に女性の就業率が低下するいわゆる「M字カーブ」や、出産時に退職、または働き方を変えて、育児後は非正規で働くようになる、いわゆる「L字カーブ」の解消にも資するものだと考えます。
今ある仕事が、近い将来、AIに取って代わられることも予想され、私たちのキャリアにとって、リスキリングが「当たり前」になる時代が来る中、私が提案したような、リスキリング支援メニューの拡充が必要になるのではないかと思いますが、総理のお考えをお伺いいたします。

第211回国会における大家敏志政策審議会長代理 代表質問 | 政策 | ニュース | 自由民主党 (太字は引用者)

やはり産休育休中、つまり、通常は業務を行わない期間に、リスキリングという「業務」を行う、という前提のようです。

もちろん、育休中に業務をまったく行えないわけではありません。

育児・介護休業法上の育児休業は、子の養育を行うために、休業期間中の労務提供義務を消滅させる制度であり、休業期間中に就労することは想定されていません。
 
 しかし、労使の話し合いにより、子の養育をする必要がない期間に限り、一時的・臨時的にその事業主の下で就労することはできます。
 
※労働者が自ら事業主の求めに応じ、合意することが必要です。事業主の一方的な指示により就労させることはできません。
※就労が月10日(10日を超える場合は80時間)以下であれば、育児休業給付金が支給されます。

育児休業中の就労について

基本は、育休中に業務を命令することはできません。
ただ、上記の引用部分に示された範囲内で、労働者との合意があれば、育休中に業務を行えます。

しかし、そうなると、冒頭に書いた「育休中のリスキリング」に対する批判、というより、悲鳴に戻ってきてしまうわけです。

M字カーブやマミートラックの原因は?

上に引用した代表質問では、「 一定期間仕事を休むことで昇進・昇給で同期から遅れを取る」、いわゆるマミートラックや、「結婚・育児期に女性の就業率が低下するいわゆる『M字カーブ』」の解消策として、育休中のリスキリングが提案されています。

つまり、M字カーブやマミートラックは、産休・育休を取得した労働者のスキルが、時代遅れになり、企業ニーズに合致しないことが原因だということになります。

しかし、それは明らかに見当違いです。

M字カーブは、一般に第一子を出産した時点で退職し、数年子育てに専念し、その後就労する場合はパート勤務で、というライフスタイルをとる女性が多いために出現する現象です。

第1子の妊娠・出産を機に仕事をやめた理由では、「子育てをしながら仕事を続けるのは大変だったから」が52.3%で最も高く、「子育てに専念したかったから」、「自分の体や胎児を大事にしたいと考えたから」が続いている。

「第1子出産前後の女性の継続就業率」及び出産・育児と女性の就業状況について/平成30年11月内閣府男女共同参画局 (太字は引用者)

この調査を見ると、女性にだけのしかかってくる、家事・子育ての負担、そして、職場でのサポートが不十分だということが原因だとわかります。

マミートラックについても、通常言われている原因は、やはり職場環境の問題、職場での理解不足等です。

国や企業に求められるのは、労働条件の改善と、固定的な男女役割分担を是とするような風潮の是正です。
労働者個人のスキルと、M字カーブ等を結びつけるのは無理があるでしょう。

育休終了後は、元の職場に戻すのが原則

さて、リスキリングというと、次のふたつのパターンがあります。

  1. 現在行っている業務自体が、DX等によって大きく変容し、対応するスキルを学ばせる必要がある
  2. 新しい業務を行う人材が不足なので、社外に求めるのではなく、現にいる従業員にスキルを習得させて対応する

1の場合は、全員にリスキリングが必要ですから、当然育休から復帰した従業員も対象になります。
本格的に業務に復帰する前に、一定のトレーニング期間が必要でしょう。
この場合は、元の職場に戻りたければ、リスキリングを受け入れざるを得ません。

2の場合を考えると、いままでとは異なる新しい業務を担う、つまり業務内容の大きな変更と、場合によっては部署異動が前提となります。

育休終了後は、元の職場に戻すのが原則です。

もちろん、話し合いによって別の職場に異動するという選択肢もありますが、きちんと本人の意向を確認しないと、育休を理由に不利益な配置変更をしたという、育児介護休業法違反になってしまいます。

育休終了後に、2のタイプのリスキリングを経て、新しい業務や別の部署への異動を検討する場合、まずは法違反にならないか、本人への負担は大きくなりすぎないか、という点に配慮する必要があります。

リスキリングは多くの職場で必要だが、育休とからめるのは慎重に

家族が一人増え、その家族は24時間体制でお世話しなくてはなりません。
おめでたいできごとであるとはいえ、赤ちゃんの世話する人に掛かる負担は相当なものです。
育休から復帰するときは、そこにさらに仕事との両立という大きな負担を負うことになります。

育休からの復帰と同時に、新しい業務や、いままでとは別の部署への異動というのは、一般的には負担が大きすぎるのではないでしょうか。

リスキリング自体は、差し迫った課題であるとはいえ、個々の従業員の事情には配慮すべきです。
育休復帰後の従業員に、リスキリングでさらにストレスを与えるのがよいとは思えません。
ましてや、育休中からプレッシャーを与えるのは、悪手としか言いようがないでしょう。

とはいえ、せっかく話題になったことですし、ここで経営課題の解決方法のひとつとして、リスキリングに注目し、取り組んでみるのはいかがでしょうか。

とくに中小企業では、DXの必要性が高いにも関わらず、適当な担当者がいない、しかし、外部から新たに雇用するのはうまくいかない、という悩みを抱えている場合、リスキリングが有力な解決策となります。

思いつきで育休とからめたりしなければ、国のリスキリング支援策に注目し、積極的に利用するのは、経営によいインパクトになるでしょう。