管理職向けのハラスメント防止研修でよく、「パワハラのグレーゾーンを教えてほしい」「指導とパワハラの線引きを明確にしてほしい」との質問を受けます。一見、真面目に学ぶ姿勢から出た質問のようですが、その背景には大きな問題があります。

多くの管理職は、「指導スタイルを変えたくないが、パワハラと言われない方法だけ知りたい」という「抜け道思考」を持っています。つまり、指導方法を根本的に見直すのではなく、現在のやり方を維持したままリスク回避のテクニックだけを求めているのです。

この思考の根底には、「仕事はストレスフル」「厳しさは成長に必要」という固定観念があります。それ自体は間違いではありませんが、すべてのストレスを同質と捉えている点に大きな問題があります。実際には、成長を促す「よいストレス」と心を蝕む「悪いストレス」は明確に異なるのです。

「抜け道思考」が生まれる背景

そのように考えている管理職が多数存在する背景はどのようなものでしょうか。

従来の指導観への固執

管理職の「指導には厳しさが必要」という考えは間違いではありません。成長には適度な負荷や挑戦が不可欠だからです。しかし問題は、その「厳しさ」の中身が吟味されていないことにあります。

「自分も厳しく指導されて成長してきた」「今の若い人は甘やかされている」という過去の成功体験や世代論に基づく指導観は、現代の価値観や職場環境に合いません。さらに深刻なのは、自身の指導が部下に与える影響を客観視できていないことです。

「ストレス=悪」への反発

メンタルヘルス重視の風潮に反発し、「ストレスを排除したら成長しない」と考える管理職もいます。しかし「ストレスなら何でもよい」というわけではありません。

こうした管理職は、ストレスの質ではなく量や強度に注目しがちで、「もっと厳しく」「プレッシャーを増やせ」と思い込み、それがパワハラの温床になります。

「よいストレス」と「悪いストレス」の本質的違い

「よいストレス」と「悪いストレス」のは、どのように区別したらよいのでしょうか。

成長を促す「よいストレス」

よいストレスは、部下が主体的に乗り越えたいと思う挑戦から生まれます。納期の厳しい仕事、少し難しい課題への挑戦、責任の重い業務への抜擢など、部下の能力を信頼して成長機会を提供することで生じます。

このストレスを感じる部下は、緊張や不安はあっても「やってやろう」という意欲や「成長したい」という動機を持ち、失敗への恐れより成功への期待が勝っています。

重要なのは、部下の尊厳を保ったまま挑戦の機会とサポートが与えられることです。「君ならできる」という信頼メッセージと共に、困った時の支援体制が整っているのが前提条件です。

心を蝕む「悪いストレス」

一方、悪いストレスは、人格や存在そのものを脅かす圧力から生じます。理不尽な叱責、人格否定的な言葉、過度な監視、不可能な要求の繰り返し等は、部下を成長させるどころか追い詰めてしまいます。

このストレスを受ける部下は、「怒られないように」「目立たないように」と委縮し、挑戦への意欲は削がれ、創造性や主体性が失われます。

さらに深刻なのは、部下の自己肯定感を根本的に破壊することで、「自分はダメな人間だ」という無力感が蓄積されることです。仕事への意欲が失われるだけでなく、うつや適応障害等の精神疾患のひきがねとなることがあります。

「よいストレス」と「悪いストレス」の具体例

では、どのような上司の言動がよいストレスになり、また、悪いストレスになるのでしょうか。具体的に見てみましょう。

ケース1:新しい仕事を任せるときの対比

よいストレスを与える上司の例

「この仕事を君に任せてみたい。今の君にとっては挑戦になると思うが、この経験は必ず将来の力になる。もちろん、全面的にサポートするし、困ったらいつでも相談してくれ。」

  • 期待と信頼を伝える:部下の能力への信頼を示す
  • 成長の意味を説明:経験が将来にどう繋がるかを明確化
  • サポート体制を約束:いつでも相談できるという安心感を与える

結果として部下は「期待に応えたい」という前向きなプレッシャーを感じ、主体的に仕事に取り組めます。

悪いストレスを与える上司の例

「これ、やっといて。まあ、君にはまだ早いかもしれないけどね。失敗したらどうなるか、分かってるだろうな?」

  • 不信感と皮肉:能力への疑いを表明
  • 脅しと恐怖:失敗への恐怖心を植え付け
  • 目的の不明確さ:なぜやるのか、成長にどう繋がるかが不明

部下は「失敗したらどうしよう」という萎縮した気持ちになり、新しいアイデアや主体性が失われます。

ケース2:ミスをしたときの対比

よい厳しさを持つ上司の例

「この資料の○○部分、事実と違うデータが使われているね。この数字が違うと、お客様に大きな誤解を与える可能性がある。なぜこのミスが起きたか、一緒に原因を考えて、再発しないようにしよう。」

  • 事実への焦点:人格ではなく具体的問題点を指摘
  • 影響の説明:なぜ問題なのかを明確に伝達
  • 建設的解決:未来志向の改善策を提示

部下は「次は気をつけよう」「原因を振り返ろう」という内省と学びの機会を得られます。

悪い厳しさを持つ上司の例

「なんでこんなこともできないの?何回言ったら分かるんだ?本当に使えないな。もういい、全部やり直して。」

  • 人格攻撃:仕事のミスを超えた人格否定
  • 感情的叱責:具体的理由なく上司の感情をぶつける
  • 思考停止命令:改善点が不明で恐怖だけを与える

部下の自尊心は深く傷つき、「自分はダメな人間だ」という無力感に陥ります。

パワハラ防止に必要な意識転換

部下に与えるストレスにも2種類あることがわかったら、「よいストレス」を与え、パワハラ防止するためにはどうしたらよいのか、考えてみましょう。

「境界線探し」から「関係性構築」へ

グレーゾーンばかりに注目する管理職は、「やってはいけないことを避ける」という消極的発想にとらわれています。真に効果的なマネジメントには、「信頼関係をどう築くか」「成長をどう支援するか」という積極的発想への転換が必要です。

法的リスク回避のテクニックより、部下一人ひとりの個性や状況を理解し、適切な関わり方を模索することが重要で、対話と相互理解によってハラスメントリスクは自然と軽減されます。

自己省察の重要性

抜け道思考からの脱却には、自分の指導スタイルを客観的に振り返る習慣が不可欠です。「本当に部下のためになっているか」「部下はどんな気持ちで指導を受けているか」という継続的な問いかけが必要です。

部下からのフィードバックを積極的に求め、自分では気づかない問題点を発見する姿勢も重要です。「指導される側」の視点に立つことで、従来の指導観の問題点が見えてきます。

まとめ:真の成長支援者になるために

グレーゾーン質問をする管理職の多くは悪意がなく、部下を成長させたい思いは本物です。しかし、その方法論が時代に合わなくなっていることに気づいていません。

「よいストレス」と「悪いストレス」を区別する能力こそが、現代の管理職に求められる最重要スキルです。これは「パワハラになりがちなNG行為」を知るだけでは身につきません。日々の関わりの中で相手の立場に立ち、成長を願い、尊厳を尊重する姿勢によってのみ養われます。

パワハラ防止は単なるリスク管理ではありません。それは、人を大切にしともに成長していく組織文化を築くためのプロセスです。「抜け道」ではなく「王道」を歩む覚悟を持った管理職こそが、真に部下を成長させ組織を発展させることができるのです。