セミナーや研修で、「コミュニケーションはスポーツとよく似ています」という言い方をすることがあります。そのココロは「いくら理論を学んでも、練習しなければ上達しない」ということです。
コミュニケーションの練習は、毎日の生活の中でもできます。
でも、実際の人間関係の中で練習するというのは、失敗した時のリスクを考えると、ちゅうちょしてしまいますね。
「へんな人だと思われたらどうしよう」
「相手が気を悪くしたらどうしよう」
そして、いままで無意識に行なっていたことを、意識して別の方法で行う不自由さ、ぎこちなさは、なかなかあなどれません。
右利きの人が左手でお箸を使うような感じかもしれません。左利きの人は、なにげなく行なっていることなのですが、「ふだんと違う」ということだけで、たいへんな負担になりますよね。逆もまた同じです。
安心してコミュニケーションの練習ができる場を確保するには、社内研修・有志の勉強会等が有効です。同じ場所に全員集まらなくても、オンラインでも練習できます。
ほかにも、コミュニケーションがスポーツに似ているところがあります。
我流でやるよりも、正しい指導方法を知っているコーチに習ったほうが、上達が早い、ということです。
コミュニケーションに正解はない。人それぞれ。
というのも、ひとつの真実ではあるのですが、やはり、スポーツにも理にかなったきれいなフォームがあるように、だれがやっても、このほうがいいよ、という最大公約数的なやり方がコミュニケーションにもあります。
それが、「傾聴」「アサーション」などのコミュニケーション・スキルとして体系化されているのです。
「スキル」ですから、だれでもきちんと練習すれば、ある程度の力を身につけることができます。
そして、その「ある程度の力」があるかないかが、その人の人間関係、そして、人間関係の上に成り立っている仕事の質に大きく作用するのです。
すばらしい実力を持っている方が、コミュニケーションの方法を知らないがゆえに、なかなかそれを発揮できず、「惜しい!」と思うことがあります。
コミュニケーションのやり方がうまくない、というのは、単にいい方法を知らないだけなのであって、人格に問題があるわけではありません。
実は、わたしは運動がとても苦手で、スポーツとは縁がないのですが、だからといって、わたしの人格を疑う人はいません。
コミュニケーションのうまいへたは人格の良し悪しと混同されがちなのですが、それはぜんぜん違うものです。
でも、世間が「コミュニケーションのうまい人」=「いい人」と思っているのなら、逆にそれを利用しない手はありません。
コミュニケーションスキルを身につけるだけで、人格まで「いい人」と評価してもらえるのですから。
「いい人」だらけの職場。そんなのは夢だと想うかもしれませんが、会社がコミュニケーション研修に力を入れ、従業員もしっかり取り組めば、決して夢ではないのです。