近年、退職代行サービスを利用して職場を去る労働者が急増しています。これに対し、多くの経営者や管理職は「最近の若者は忍耐力がない」「直接言いに来ないのは社会人として失格だ」と、個人の資質やマナーの問題として片付けがちです。

また、社労士から見ると、民法の規定により退職の意思を示して2週間経てば退職は成立する、つまりどんなに引き止められようと辞めることができるのに、なぜわざわざ有料のサービスを使うのか、という疑問も拭いきれません。

しかし、退職代行サービスの利用は、社会人としてのマナーや法律知識が欠如しているからではないのです。客観的な調査データが示すのは、全く異なる景色です。

パーソル総合研究所の「離職の変化と退職代行に関する定量調査」をはじめとする複数のリサーチ結果を紐解くと、退職代行の利用は、使う側のわがままではなく、その従業員を追い詰めた職場環境の機能不全の結果であることが浮き彫りになります。

この記事では、労働環境とハラスメントに詳しい社会保険労務士の視点から、なぜ従業員が退職代行を使わざるを得ないのか、そして企業が取り組むべき本質的な解決策について解説します。

データが証明する退職代行利用の真因:上司によるハラスメントと「言えない環境」

まず、退職代行利用者が置かれていた職場の実態を直視する必要があります。

パーソル総合研究所の調査によれば、一般の離職者が直属の上司からハラスメントを受けていた割合は7.8%であるのに対し、退職代行利用者は42.3%と、実に5倍以上の高確率でハラスメントを経験しています。

また、エン・ジャパンが実施したアンケートでも、利用者の約6割が「上司との関係や職場環境が良ければ、代行サービスを使わなかった」と回答しています。さらにマイナビの2024年の調査では、利用理由の第1位に「強い引き止め(またはその予感)」が挙げられており、個人の意思が尊重されない職場風土が、第三者を介在させる大きな要因となっていることが分かります。

これらは明らかにマネジメントの敗北です。上司との関係が恐怖や不信に支配されている状況で、「礼儀正しく直接退職を申し出ろ」と要求すること自体が、労働者に対してさらなる精神的苦痛を強いる二次加害になりかねません。

「非礼なマネジメント(インシビリティ)」が組織を蝕む

ハラスメントとまでは断定しにくい、しかし確実に部下の心を削る「非礼なマネジメント」の放置も深刻な問題です。これは「インシビリティ(礼節の欠如)」と呼ばれ、米国の研究でも離職率を高める最大の要因の一つとされています。

具体的には、以下のような「微細な攻撃」が日常化していないでしょうか。

  • 挨拶をしても返さない、あるいは特定の部下だけ無視する。
  • メールやチャットの返信を何日も放置し、相手の存在を軽視する。
  • 会議で部下の発言を遮る、あるいは鼻で笑うような態度を取る。
  • 成功は上司の手柄にし、失敗の責任だけを部下に押し付ける。
  • 「そんなことも分からないのか」「君らしいミスだ」といった皮肉を日常的に浴びせる。

これらのひとつひとつは、ささいなことに見えるかもしれません。しかし、このような被害が積み重なることで、部下は「自分はこの組織に尊重されていい」という無力感を抱き、心理的な逃げ場を失います。その結果、最後の手続きである退職交渉において、心理的コストが最も低い代行サービスを選択することになるのです。

「無責任」という誤解:代行利用者の真実

世間で流布されている「退職代行を使う人は責任感がない」というイメージも、データによって否定されています。調査結果によれば、退職代行利用者はむしろ「周囲と協力して働きたい」という協調性が高く、組織への貢献意欲が強かった人が多い傾向にあります。

彼らは「辞めることで迷惑をかけてしまう」「上司を失望させてしまう」という強い罪悪感を抱きやすい人たちです。その責任感の強さゆえに、対面で「NO」を突きつけることへの心理的負荷に耐えられなくなり、精神的に摩耗しきった結果として代行に頼らざるを得ないのです。

代行利用を個人の資質の問題にすり替えることは、現場で起きている構造的な問題を隠蔽することに他なりません。

解決策1:上司への一極集中を排除する相談ネットワークの構築

従業員を退職代行に走らせないためには、直属の上司一人にコミュニケーションを依存させない、サポートの網の目を作ることが不可欠です。

具体的には、トヨタ自動車やキリンが導入しているメンター制度(職場先輩による精神的サポート)や、ヤフーなどが実践する1on1ミーティングの組織的な運用が有効です。ただし、これらを形式的なものにしないための工夫が必要です。

例えば、あるIT企業ではバディ制度を導入し、業務上の上司とは別に、利害関係のない他部署の先輩を相談役に任命しました。これにより、上司には言えない本音や悩みが組織内で早期にキャッチできるようになり、代行利用を含む突発的な離職が大幅に減少した事例があります。

また、同僚同士で対話するピア1on1を取り入れ、互いの弱みをさらけ出せる場を作ることも、孤立を防ぐ強力なセーフティネットになります。

解決策2:心理的安全性を高め、成果圧力を緩和する具体策

「何を言っても報復されない」という心理的安全性の確保が、代行利用を防ぐ土台となります。これを実現するためには、リーダー自らが弱さを見せることや、失敗しても責められない風土づくりが重要です。

  • リーダーの失敗談共有:マネージャーが自らの過去の失敗や判断ミスを部下に話し、完璧を求めすぎない文化を作る。
  • 「さん付け」運動の徹底:アース製薬などが実践しているように、役職名ではなく「さん」で呼び合うことで、上下関係による心理的圧迫感を物理的に緩和する。
  • プロセス評価の導入:数字という結果だけでなく、そこに至るまでの試行錯誤やチームへの貢献といったプロセスを可視化し、承認する。

成果への圧力が強い職場ほど、部下は「できない自分」を隠し、限界が来るまで耐えてしまいます。

数値目標自体は、業績を出すために重要な方法ですが、一方で、その達成に向けた苦労をチーム全体で分かち合う仕組み、例えば「失敗を称える賞」や「ナイス・トライ」を共有する掲示板などの設置は、心理的負荷を分散させる効果的な手段です。

解決策3:ハラスメントに遭ったとき声を上げやすい仕組み

退職代行の利用が頻発する職場には、必ず何らかの環境要因が存在します。

長時間労働、人手不足、日常的なハラスメントの横行など、従業員が「辞めたいけど辞められない」という心理状態に追い詰められていないか、第三者の目も入れながら客観的に点検することが必要です。

パーソル総合研究所の別調査では、ハラスメント被害者の5人に1人(20.6%)が離職しており、全国のハラスメントによる年間離職者数は86.5万人と推計され、総離職の約1割を占めています。しかもその約7割は退職理由としてハラスメントを会社に伝えていません。企業が把握しているハラスメントを理由とした離職は、実際の数の約3分の1に過ぎないのです。

匿名の相談窓口の設置、定期的なストレスチェックや職場環境調査、人事部門による定期面談など、声を上げやすい仕組みづくりが不可欠です。

退職代行は職場への最終警告

退職代行の利用者が現れたとき、企業がまず行うべきは、去っていく従業員を責めることではありません。その従業員が「なぜ数万円の費用を払ってまで、直接話すことを拒絶したのか」という問いに対し、真摯に向き合うことです。

ハラスメントが放置されていなかったか。非礼なマネジメントが日常化していなかったか。コミュニケーションが上司に依存しすぎていなかったか。退職代行は、そうした職場の「静かな崩壊」を知らせるアラートです。

従業員を個人の力で立ち向かわせるのではなく、組織全体という「網の目」で支え、育てる視点を持つこと。それこそが、専門家として私が提唱する、退職代行を必要としない健全な組織への第一歩です。