若いころはお説教がキライでした。
そんなもの好きな人がいるのか? とお思いになるかもしれませんが、説教されても、素直な人はそこから自分の役に立つ内容を受け取るものです。たとえ有用な内容であれ、説教されている、と思っただけで、わたしにとってはそのすべてがくだらない灰色のものに見えました。
いまでは、年齢的にも、職業的にも、人にアドバイスすることが多い立場なのですが、こんなお説教臭いことばかりしゃべって、えらそうに!と、自分で自分につっこんでしまうことがあります。
自分ではアドバイスしているつもりでも、相手にとってはお説教になってしまうというのは、よくあることです。
アドバイスとお説教の違いはどこにあるのでしょうか。
それは、「相性」と「タイミング」です。
この人のいうことは素直に聞けるけど、別のあの人だと、同じようなことを言われても、なんだかカチンときちゃう。こんなことはありませんか? それが相性です。
相性がいいかどうかは、個人の努力でどうしようもないことが多いので、相性がだいじ、というとがっかりされてしまいそうですね。でも、相性というものの比重が大きいと思えば、アドバイスが無視されてもむっとせずにすむし、いつもお説教臭いうざい相手も、「わたしとは相性が悪いんだわ」と思えば腹も立ちません。
タイミングというのは、要するに、相手がそのアドバイスを求めているタイミングかどうか、ということです。これは相性と違って、ある程度話す側でコントロールすることができます。
そのタイミングがなぜわかるかというと、相手が「アドバイスしてほしい」と言ってきます。言葉だけではなく、態度や話の内容でそれがわかるときもあります。
態度を読み違えると、お説教、もしくは、よけいなおせっかいになってしまうわけですね。
カウンセリングというのは、アドバイスをもらえるもの、そう思っている方が多いようです。
心理的カウンセリングではなく、たとえば、化粧品の対面販売などもカウンセリングといいますから、そういう方面では、確かにアドバイスをもらう、というのが主眼になるかもしれません。
そう思っていて、心理的なカウンセリングを受けると、カウンセラーは熱心に話を聞いてくれるけど、なかなか「ああしなさい、こうしなさい」という話はでてきません。
それは、カウンセラーの目から見ると、相談に来た相手が、まだほんとうにアドバイスを求めている段階ではないからなのです。
カウンセラーと相談者の間に信頼関係がないうちにアドバイスをすると、反発されて終わり、ということもあります。「はぁ? そんなことできれば苦労しないよ」となってしまうわけですね。
安易に答を求めている段階で、相手から「正解」をもらっても、その答が自分の中から出たものではないと、真剣に取り組めなかったり、うまくいかないときは「へんなアドバイスをされたせいだ」ということになってしまいます。
また、相談の内容が、カウンセラーにとって、まったく知識がない、経験がない分野であることもよくあります。このあたりは化粧品の対面販売とは違うところで、「なにを選ぶか」というアドバイスはそもそもできません。
カウンセラーがアドバイスをするとしたら、「なにを選ぶか」ではなく、「自分の納得するものを選ぶために、どのように考えたらよいか」ということです。
その答は、相談に来た人の話の中にしかありません。話を聞いていくうちに、自分の中でそれがだんだんはっきりしてきて、アドバイスしなくても納得して答を選び、それで終了してしまうこともあります。一方的に「正解」を与える、お説教とはまったく逆のパターンですね。
化粧品の対面販売にしても、お客さんの話を聞き、相手がなにを求めているかを理解してから、それに合ったアドバイスをするから、単なる販売ではなく「カウンセリング」と言っているわけです。お客さんから肌の状態や悩み、生活の状況、化粧品を使う目的をきちんと聞き終わったときが、アドバイスするタイミングですね。
このタイミングをはずして急ぎすぎると、お説教ではないですが、販売員が自分の売りたいものを押し付けているだけじゃないか、と受け取られてしまうかもしれません。
つまりは、説教ではなくアドバイスをするためのタイミングをつかむには、相手の話をしっかり聴くこと、ということになります。
えー、そんなめんどくさい、と思った人は、相手のためにアドバイスをしているのではなく、「相手に影響力のある自分」が好きなだけかもしれませんよ。