つづき
・そうした中で「アホ、ばか」という表現を用いることもありますが、それは人格を否定するためでなく、愛情表現としての「アホ、ばか」ですので、誤解なきよう宜しくお願い申し上げます。
・こうした用法が不明な場合は、拙著『永田町アホばか列伝』をご覧下さい。つづく
— 足立康史 (@adachiyasushi) July 30, 2019
少し前の話題ですが、衆議院議員からこんな発言がありました。
念の為申し上げると、わたしはこの議員さんの政治思想などについてはよく知らず、単にパワハラの解説のためにちょうどいい発言だったので、利用させてもらっただけです。
公人が、公式 Twitter で述べたことですので、批判されることもありますね。
さて、パワハラの行為者(加害者)からお話を聞くと、とてもよく出てくるのが、上のような弁明です。
「愛情表現だった」
「冗談だった」
「相手とは(よい)人間関係があるので、このくらいは問題ないと思っていた」
確かに、多少の暴言も、親しいあいだの軽口として許容されることもあります。
暴言が「親しい間の軽口」と認定された判例もある
このことが端的に示された判例があります。
海上自衛隊の護衛艦「あさぎり」に乗艦中に自殺した三曹の遺族が、国を相手取って起こした訴訟です。
結論から言うと、高裁で一部遺族の主張が認められ、実母に200万円、養父に150万円の損害賠償を支払うよう国に命じています。
(長崎・海上自衛隊員自殺事件 福岡高裁判決 H20.8.25)
ここに、亡くなった三曹(Aさんとします)の上司ふたりが登場します。
直接の上司、R1班長と、隣の班のR2班長です。
遺族は、このどちらについても、Aさんへのいじめ行為があったと主張していました。
R1班長についての、判断は次のようなものです。
R1班長は,少なくとも9月中旬ころ以降,指導の際には,殊更にAに対し,「お前は三曹だろ。三曹らしい仕事をしろよ。」,「お前は覚えが悪いな。」,「バカかお前は。三曹失格だ。」などの言辞(以下「本件行為」という。)を用いて半ば誹謗していたと認めるのが相当である。
そしてこれらの言辞は,それ自体Aを侮辱するものであるばかりでなく,経験が浅く技能練度が階級に対して劣りがちである曹候出身者であるAに対する術科指導等に当たって述べられたものが多く,かつ,閉鎖的な艦内で直属の上司である班長から継続的に行われたものであるといった状況を考慮すれば,Aに対し,心理的負荷を過度に蓄積させるようなものであったというべきであり,指導の域を超えるものであったといわなければならない。(判決文より引用。強調は引用者)
このようにパワハラについてその責任を認め、さらに、直接の上司であったことから、安全配慮義務違反も認めています。
そして、R2班長については、このような言葉を言ったことが認定されています。
「お前はとろくて仕事ができない。自分の顔に泥を塗るな。」
「百年の孤独要員」(焼酎を贈られたことがあるので)、「ゲジ2」(賭けトランプでいちばん弱い札のこと)とAさんを呼んだ。
しかしながら、その責任については、R1班長とは、逆の認定になっています。
前記認定のとおり,R2班長とAは,おおよど乗艦中には,良好な関係にあったことが明らかであり,Aは2回にわたり,自発的にR2班長に本件焼酎を持参したこと,R2班長はAのさわぎり乗艦勤務を推薦したこと,Aが3回目に本件焼酎を持参すると言った際,返礼の意味を含めてA一家を自宅に招待し,歓待したこと等からすれば,客観的にみて,R2班長はAに対し,好意をもって接しており,そのことは平均的な者は理解できたものと考えられるし,Aもある程度はこれを理解していたものであって,R2班長の上記言動はAないし平均的な耐性を持つ者に対し,心理的負荷を蓄積させるようなものであったとはいえず,違法性を認めるに足りないというべきである。
なるほど,上記のようなR2班長の言動の一部はAに対する侮辱ともとらえることのできるものではあるが,親しい上司と部下の間の軽口として許容されないほどのものとまではいえず,(後略。強調は引用者。判決文より引用)
まさに「冗談だった」「愛情表現だった」が認められたかっこうですね。
言われたご本人は亡くなってしまっているので、この認定が正しかったかどうかは、永遠にわかりません。
言われた本人が侮辱と感じた場合はどうか
このように、相手との人間関係によっては、「アホ、ばか」のような罵倒の言葉であっても、許容される軽口である場合もあります。
しかし、相手がはっきりとそのような罵倒語を侮辱に感じ、それについて被害を告発しているときに、このような弁明をしても逆効果です。
要するに、相手が嫌がっているのにそれに気づかず、罵倒語を使い続けた、鈍感で、配慮不足な上司ということが証明されたにすぎません。
「そんなつもりじゃなかった」
「だれにでも間違いはある」
これ自体は、よいのですが、間違いを犯したとき、その間違いに気づかない、これは、相手を軽視して、相手の反応をちゃんと見ていないから起こることです。
自分の言動が間違いであること、つまり、相手が嫌がっていることに気づいたら、すぐに謝って態度を改めればそれですむ場合がほとんどです。
だれでも、自分の上司ともめたくありませんからね。
しかし、最終的には相手が耐えられなくなって告発に及ぶのはどういう場合か。
相手の嫌な気持ちに気づいても、上下関係にあぐらをかいて、「このくらい当たり前」と思っている、また、もっと悪質になると、相手が嫌がっている様子を見ることで快感を感じて繰り返す、という場合ですね。
誤解された?
さらに、このツイートには、もうひとつ問題があります。
それは、「誤解なきよう」という部分です。
自分にはいじめる意図がないので、「いじめられた」と感じるのは誤解だ、という意味ですね。
これも、パワハラ行為者の弁明の中には必ずといっていいくらい出てくるフレーズです。
「誤解」というと、まるで誤解した相手が悪く、自分には責任がないような感じですね。
一般的に、コミュニケーションにすれ違いがあったとき、責任はどちらにあるのでしょうか。
そんなの場合による、と思われるかもしれませんが、上司と部下、雇う側と雇われる側というように、上限関係がある場合は、立場が上のほうに、より大きな責任があります。
責任があるからこそ、権限があり、相手に対して「ああしろこうしろ」と指示することができるのですから。
相手が誤解するような、そして第三者が見ても「ふつう誤解するでしょ」というような言動をとった場合、上司の側に大きな責任があるということです。
パワハラの場合、このような立場の違いをきちんと頭に入れていないと、判断を誤ります。
開き直っても得るものは少ない
社内で、自分の言動についてだれかから苦情が寄せられ、問題になったときに、上のように開き直ると、まったくいいことがありません。
パワハラかどうか判断する立場の経営層などから、反省がない、と見られます。
また、このような話をしたことが被害者に伝わると、被害者が態度を硬化させる、ということになります。
もっともこれは、会社側がまともな対応をとったときの話で、現実には、会社がパワハラ加害者をかばい、被害者を追い出すということがたくさん起こっています。
そういう会社なら、構わないのか?
自分に権力があれば構わないのか?
その答えは、いまのこの時代に、そのような会社に未来があるかどうか考えれば明らかでしょう。
上の ツイートに関しての週刊誌記事はこちら。
「アホ、カス、バカ」パワハラ足立康史議員の秘書が“怒りの告発”(FRIDAY) – Yahoo!ニュース(19/08/10 追記)