
福岡県田川市の村上卓哉市長をめぐる報道では、元秘書の女性職員に対する行為が第三者委員会によってセクハラと認定され、その後、市長が辞職の意向を固めたと報じられました(セクハラ認定の福岡・田川市長、辞意表明 女性職員「強い失望」 [福岡県]:朝日新聞)。5月25日には辞職届を提出しています。
報道によれば、市長側はかつて「不倫関係」と説明していた一方で、第三者委員会は、少なくとも一部の行為については対等な関係に基づくものとは評価せず、セクハラと認定しました。
この件であらためて浮かび上がったのは、「本人がどう思っていたか」よりも、「その関係が本当に自由な意思に基づくものだったのか」が厳しく問われる時代になっている、ということです。
この問題は、政治家や公務員だけの話ではありません。日常的に女性部下と会食をしたり、出張に同行したり、車で移動したりすることのある男性管理職にとって、きわめて身近なテーマです。
ハラスメント対応に長くかかわってきた社労士として、このような問題が起こってしまう背景と男性側が陥りやすい心理、そして問題を避けるために何が必要なのかを解説します。
「相手も応じていた」は、なぜ危ういのか
この種の事案で男性側がよく口にするのが、「相手も拒まなかった」「親密な雰囲気だった」という説明です。けれども、上司と部下という、評価する側とされる側の関係では、その「応じていたように見える態度」が、そのまま自由な同意を意味するとは限りません。
部下の側には、評価への不安、人間関係の悪化への懸念、仕事を続けるうえで波風を立てたくない思いがあります。そのため、本心では嫌でも、とっさに拒絶できない、あいまいに笑う、その場をやり過ごす、連絡を切れない、といった反応が起こります。
男性側はそこを「受け入れられている」と誤読しやすいのですが、実際には、相手が身を守るためにそうしていることが少なくありません。
被害者が受けるダメージは、見た目以上に深い
仕事の場で性的な関係を求められ、それに応じざるを得ない状況に置かれた人のダメージは、外から見える以上に深刻です。
被害者はしばしば、驚き、混乱し、何が起きているのかをその場でうまく整理できません。身体が固まる、言葉が出ない、相手に合わせるような反応をしてしまう、あとから強い自己嫌悪に陥る、といったことが起きます。これは弱さではなく、トラウマ反応として理解されるべきものです。(法務省「性暴力の被害経験に関する質的調査報告」)
さらに深刻なのは、その後です。仕事に集中できない、加害者と顔を合わせるだけで緊張する、通勤前に体調が悪くなる、眠れない、フラッシュバックが起きる、自分が悪かったのではないかと考え続ける――こうした状態が続くことがあります。場合によっては抑うつやPTSD症状に至り、休職や退職に追い込まれることもあります。
被害者にとってつらいのは、行為そのものだけではありません。「断れなかった自分」を責めてしまうこと、相談しても信じてもらえないのではないかという不安、そして、毎日仕事の場でその記憶を再生させられることです。仕事上の関係の中で起きる性的被害は、生活基盤と尊厳の両方を傷つけ、ダメージが長引きやすいのです。
いまは「女性が辞めて終わり」では済まない
以前は、この種の問題が起きても、結局は女性が退職する、泣き寝入りするという形で終わってしまうことが少なくありませんでした。男性側は強く責任を問われず、「本人同士の問題」と処理されることも多くありました。
しかし、いまは違います。社会の基準も、法の考え方も、企業の対応も大きく変わっています。立場の差がある以上、「本当に自由な意思だったのか」が厳しく問われます。
その結果、加害行為と認定された側は、役職を失い、懲戒処分を受け、退職に至る可能性があります。しかも、内容が内容だけに、配偶者や子どもとの関係が壊れ、家庭崩壊につながることもありえます。
筆者自身がこれまで担当してきた同種の事案でも、男性側は最終的に全員、解雇または退職という結末になっています。
昔の感覚のまま「プライベートな関係なのだから会社からとがめられる筋合いはない」と考えるのは、いまは危険です。
刑法改正で重くなった「不同意」の意味
2023年7月施行の改正刑法では、従来の強制性交等罪が不同意性交等罪に改められました。
この改正の大きなポイントは、「暴行・脅迫があったか」だけではなく、「同意しない意思を形成し、表明し、または全うすることが困難な状態」で行われた性的行為を処罰対象として明確にしたことです。
そして、そのような困難な状態を生じさせる原因の一つとして、「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって不利益を憂慮していること」が挙げられています。
これは、上司と部下のように、関係性そのものに力の差がある場面では、表面的に拒絶がなかったからといって、直ちに同意があったとはいえない、という考え方を法が正面から取り込んだものです。
判例が示している「拒否」の扱い方
民事訴訟では、刑法改正以前から、「相手がはっきり拒否していないから問題なし」とは扱われなくなっています。
たとえば、いわゆる海遊館事件(最高裁平成27年2月26日判決)では、管理職による性的な発言や言動について、被害者がその場で強く抗議していなくても、継続的な言動によって職場環境が著しく害されているとして、会社による厳しい懲戒処分が有効と判断されました。
また、加古川市の公務員によるわいせつ行為の事件(最高裁平成30年11月6日判決)では、相手の女性がその場で笑っていたとしても、客と店員という関係上、トラブルを避けるために逆らいにくい状況があることが考慮され、停職処分は妥当とされています。ここでも、「その場の表情や反応」よりも、「その人が置かれた立場」が重視されています。
こうした判例の流れは、行為の有無だけではなく、その背後にある力関係や職務上の関係を重く見ていることを示しています。
男性管理職が特に気をつけたい場面
女性部下と接点を持つ男性管理職が、特に慎重になるべき場面はいくつかあります。
- 出張での同行、宿泊を伴う移動
- 会食後の2軒目、カラオケ、バーなどへの誘い
- 車での送迎や1対1の長時間移動
- 休日の連絡や私的な相談への過度な入り込み
- 「君だけ特別」「評価している」など、期待を含ませる言い方
これらは一つひとつを見れば「よくあること」「親しさの表現」と思われがちです。
しかし、相手が部下である以上、それは常に“立場の影響力”とセットで受け取られます。たとえ好意や親切のつもりであっても、相手にとっては断りにくい圧力になることがあるのです。
特に注意したいのは、「自分は誠実に接している」「無理強いはしていない」という自己評価です。
ハラスメントの有無は、行為者の自己認識ではなく、関係性・状況・受け手の置かれた立場を含めて判断されます。今回の田川市長の件が社会に示したのも、まさにその点でしょう。
問題を避けるために必要なこととは
この問題を避けるために必要なのは、難しいことではありません。まず大事なのは、「自分に好意があるかもしれない」と考える前に、「相手は本当に自由に断れるか」を考えることです。
たとえば、1対1の夜の会食を必要以上に設定しない。出張や移動で密室性を高めない。私的な相談に深入りしすぎない。評価や期待をにおわせる言い方をしない。誘いを断られても理由を聞かず、態度を変えない。こうした基本を守るだけでも、多くの問題は防げます。
そして、もう一つ重要なのは、「拒否されなかった」を同意と解釈しないことです。沈黙、苦笑い、曖昧な返答、その場しのぎの同調は、同意ではありません。相手が部下である以上、そこには常に力関係が働いています。
管理職に求められるのは、部下と必要以上に距離を取ることではなく、自分の立場が相手の自由を狭めうることを理解することです。親しさを示したい、支えたい、特別に思っていると伝えたい――そうした気持ちがあるときほど、一歩止まって、それが相手にとって何を意味するかを考えなければなりません。
かつてのように、女性が職場を去って終わる時代ではありません。いまは、行為をした側が職を失い、社会的信用を失い、家庭まで失う時代です。その現実を直視したうえで、なお必要なのは、恐れて距離を置くことではなく、対等でない関係に対する自覚と節度です。
管理職である以上、「自分はどう思っていたか」より先に、「相手は自由だったか」を問う。その視点を持てるかどうかが、部下の女性も自分自身も守れるかどうかの境目になるのです。






