感情をつかって働いている人が、自分の心をすり減らさずに続けていくにはどうしたらいいか——そんなことを考えさせられるポストを、先日Xで目にしました。投稿者は「夜職」で働く人のしんどさについて、長文を画像に載せて率直につづっていました。

そこでは、相手の話を盛り上げ、笑って、共感して、気を配ることを、仕事中はなんとか「仕事」として割り切れるものの、プライベートになった途端「自分を無料コンテンツとして消費されているように感じる」という戸惑いと疲れが語られていました。

また、「相手を気分よくさせる技術」が仕事でも私生活でも当たり前のように求められ、気づけば自分の気持ちより相手の機嫌ばかり優先してしまう、という嘆きも印象的でした。

「夜職」とは何か——疑似恋愛を売る仕事

ここでいう「夜職」とは、キャバクラやラウンジ、ガールズバーなど、夜の時間帯にお酒を提供しながら接客をする仕事を指します。

夜職は、笑顔や会話、共感や気遣いといった「感情サービス」そのものが商品になる仕事です。さらに、美しい容姿や装いを整えて女性としての魅力を前面に出すことで、「ソフトな性的コンテンツ」として扱われてしまう側面もあります。

そして、夜職は疑似恋愛を提供する仕事でもあります。

恋愛という、きわめてプライベートで、その人の人格の根っこにかかわる体験を、擬似的とはいえお客様に提供するのですから、「自分の本心は別のところに置いたまま行動する」ことが本質的な作業になります。好きかどうかとは別に、相手を特別扱いし、好意があるかのように振る舞い続ける——これはたいへん大きな心理的負担をともなう感情労働です。

日本社会全体には、「若くて見栄えのする女性は、場を華やかにし、男性を楽しませる存在であってよい」という空気が根強くあります。

夜の仕事は、その期待をビジネスとして意識的に利用しているとも言えますが、そのぶん「女性はみな男性を接待するもの」という無意識の役割期待を背負いやすくもなります。仕事でその役割を演じていると、プライベートでも同じように振る舞ってしまい、「どこまでが仕事で、どこからが素の自分なのか」が分からなくなってしまう危険があるのです。

私自身の体験:カウンセラーとしての感情労働

一方で、私は社会保険労務士・研修講師であると同時に、カウンセラーとしても人の話を聞く仕事を長く続けてきました。プライベートでも、つい聞き役になってしまうことは少なくありません。それでも、「自分の職業的能力をタダで搾取されている」とまでは感じていません。

なぜだろうと振り返ると、いくつか違いが見えてきます。

第一に、私にとって「話を聞き、状況を整理し、言葉にして返すこと」は、職業スキルであると同時に、自分の性格や価値観と重なっている部分でもあります。やらされているというより、「そうしていると自分らしくいられる」感覚が強いのです。もちろん疲れることもありますが、相手が「少し楽になった」「整理できた」と感じてくれると、私自身も満たされます。

第二に、カウンセリングという枠組みが、境界線をはっきりさせてくれていることがあります。仕事としてお引き受けするときは、有料・予約制・時間枠が明確で、「ここからここまでは専門職としての私」という線が引かれています。プライベートでの相談が明らかに仕事レベルになってきたときには、「この先は正式な相談としてお受けしますね」と切り替えることもできます。

第三に、プライベートで聞き役になるときでも、私は意識的に完全な仕事モードには入らないようにしています。相手の話を聴きながらも、あまり観察しない、分析しないようにするのです。仕事のときは、意識的に自己開示する以外は自分の話はしませんが、もちろん自分のことも話します。話を聞いて共感したり自分のことを話たりするという、専門性のない方たちがふだんやっていることと同じです。

こうした違いから、同じ「人の話を聞く」行為でも、私の場合は「自分で範囲を決めて使っている感じ」があり、夜職の方が語っていたような、「無料コンテンツとして消費されている」という感覚にはなりにくいのだと思います。

感情労働で消耗しやすいパターン

夜職に限らず、接客や看護、介護、保育、教育、コールセンター、そしてカウンセリングや相談窓口など、感情労働に従事している人には共通のしんどさがあります。

よく見られるパターンを挙げてみます。

  • 本当は疲れていて笑いたくないのに、笑顔を作り続けなければならない。
  • 怒りや違和感を覚えても、「お客様だから」「患者さんだから」と飲み込んでしまう。
  • 相手の話を受け止める役割を担い続けるうちに、自分の感情を感じる余裕がなくなってくる。
  • プライベートでも「つい聞き役をやってしまう」「相談を持ち込まれやすい」ため、休む場所がなくなる。

これらが重なると、「私はただ、誰かの感情を処理する装置でしかないのではないか」という虚しさや、自分の人生を生きていないような感覚が強くなります。夜職の方が語る「自分がただ消費されていくように感じる」という表現は、その極端なかたちの一つだと感じます。

自分を守るための境界線——夜職にも、他の仕事にも

では、感情労働に携わる私たちは、どうすれば自分を守れるのでしょうか。夜職の方への共感と、カウンセラーとしての自分の経験を重ねながら、いくつかヒントを挙げてみます。

1. 「これは感情労働だ」と意識してラベルを貼る

まず大切なのは、「いま自分は感情を仕事に使っている」という自覚を持つことです。
身体を使う仕事の後に「今日は腰が痛いな」と思うように、「今日は感情を酷使したな」と言葉にできると、休む根拠が生まれます。

たとえば、その日の終わりにこんなふうに振り返ってみてください。

  • どの場面で一番「演技していた」と感じたか。
  • 本音と外に出した感情のギャップは、10段階でどれくらいだったか。

漠然とした「なんかしんどい」から、「感情労働でこんな場面が負担だった」に変わるだけでも、少し楽になります。

2. 無料で差し出す範囲を、自分で決める

プライベートの飲み会やDMで、「タダで延々と話を聞いてほしい」と期待されることがあります。夜職の方なら、プライベートで男性と会って話すことが、仕事なのか個人的な付き合いなのか分からなくなっていくこともあるでしょう。

こうした場面では、「ここまでは好意でやるけれど、ここから先は仕事(あるいはお断り)」という自分なりの基準を決めておくことが大切です。

私自身も、「これは明らかに職業的スキルをフル活用する話だな」と感じるときは、「ここから先は正式な相談としてお受けしますね」と切り替えるようにしています。

夜職の方であれば、たとえば

  • LINEでの長時間の愚痴聞きはしない
  • 店外で会うのは、仕事としてルールが決まっている場面だけにする
  • 無料で応じるときも、時間を区切る

といった「自分ルール」を持つだけでも、消耗はかなり違ってきます。

3. 本音と演技のギャップを広げすぎない

感情労働が必要な場面でも、「自分の本心とまったく逆のことをし続ける」状態が長く続くと、心が持ちません。

そこで、「本音と演技のギャップは、せいぜい2〜3割まで」と自分の中で目安を決めてみることを勧めています。

たとえば、どうしても気の合わない相手に対して、

  • 好きだとは言えないが、「嫌い」とまでは思っていない部分に焦点を当てて接する
  • 過剰にボディタッチをしたり、過激な言葉で持ち上げたりはしない

など、「自分がギリギリ許容できるライン」を探してみるというやり方です。

カウンセリングでも、クライエントに対して「好きになる」「無条件に同意する」必要はありません。相手を人として尊重し、その感情もだいじに扱うけれども「これはこの人の感情であって自分のものではない」というラインを意識することによって、相手の感情や考えに巻き込まれないようにします。

4. 聞き役を降りる練習をする

感情労働をしている人は、職場でも家でも友人関係でも「話を聞くのが上手な人」として期待されがちです。しかし、常にその役割を引き受け続けていると、どこにも自分が弱音を吐ける場所がなくなってしまいます。

私自身、意識的に「今日は聞き役をお休みする日」をつくるようにしています。

  • メッセージの返信をあえてゆっくりにする
  • 体力がない日は、「ごめん、今日はちょっと余裕がないから、また改めて聞かせて」と正直に伝える
  • 友達と会って話すとき「きょうは聞き役はやめて、自分のことをたくさん話そう」と意識する

人間関係に影響しそうで怖いかもしれません。それでも、「自分の限界を知らせる」「境界線を示す」ことは、自分を守るために欠かせないスキルです。

5. 同じ立場の仲間とつながる

感情労働のつらさは、経験した人でないとなかなか伝わりにくいものです。

私も、カウンセラーや社労士仲間との対話の中で、「ああ、これは私だけの問題じゃないのだ」と安心できた経験が何度もあります。

夜職の世界にも、同業者同士で話し合う場や、外部の相談窓口・カウンセリングがあります。

「こういうことで悩んでいるのは自分だけではない」と知ることは、自己否定から抜け出す大きな助けになります。

感情労働を当たり前に尊重されるものに

日本社会は、若くて美しい女性を「場を明るくしてくれる存在」「男性を楽しませる存在」として消費してもよい、という前提で回っている場面がまだまだ多くあります。夜職は、その前提をビジネスとして極端な形で体現しているとも言えますし、その負担もまた極端です。

けれど、少し形を変えれば、私たちの社会のあちこちで同じような構図が見えます。

家庭で家族の感情を引き受ける人、職場でクッション役を担わされる人、学校で「空気を読んで場を和ませる役」を期待される生徒たち——それらはすべて、感情労働の担い手です。

感情労働をしている人が、自分の感情を粗末に扱わず、無料で差し出す範囲を自分で決め、しんどいときには「ノー」と言える。そんな当たり前のことが、もっと自然にできる社会になってほしいと願っています。

そして、夜の世界で、昼の職場で、家庭の中で——感情をつかって誰かを支えているすべての人に、「あなたのしていることは、決して当たり前ではなく、尊重されるべき仕事なのだ」と伝えたいと思います。