「もう限界です…」介護職員の山田さんは、涙を浮かべながら人事部に電話をしていました。
着任して2年目の佐藤施設長は、最初のうちこそ笑顔で職員に接し、励ましの言葉をかけることも多かったのですが、人員不足の中での利用者家族とのトラブルが度重なるにつれ、笑顔もなくなり、話し方もきつくなるばかりです。
「有給休暇の申請を却下され続けて、体調を崩しても休めません。施設長の機嫌が悪いと、些細なミスを大声で叱責され、他のスタッフの前で恥をかかされます。でも、本社に伝えると更に酷くなるのではと怖くて…」
山田さんは、ここ数ヶ月の出来事を振り返りながら、苦しい胸の内を吐露しました。
新人の頃は生き生きと働いていた山田さんでしたが、今では目の下にクマができ、睡眠不足に悩まされています。
「先週も、シフトの組み方について、みんなの希望を入れた提案をしたんです。でも、施設長は『余計なことを考えるな』と一蹴して…。私たちの意見は全く聞いてもらえません」
山田さんの話を聞いた人事部の田中さんは、事態が深刻であることを痛感しました。
管理者が「王様」になりやすい構造
多くの拠点を持つ介護事業において、このような「王様化」した管理者の問題は深刻です。
上の事例は架空のものですが、ハラスメント相談を受けていると、似たような話を多数耳にします。
なぜこのようなことになってしまうのでしょうか。
介護事業や飲食チェーン店等の多拠点型事業では、本社から物理的に離れているという特性上、各拠点の管理者に採用から労務管理、売上管理まで広範な権限が委ねられます。
この権限の集中が、管理者の独善的な判断や行動を生みやすい環境を作り出しています。
その施設のトップが不適切な言動をしたとしても、従業員が本社にそのことを伝えるルートもないと、是正される機会がありません。
特に介護施設では、利用者の生命と安全に関わる判断を日常的に行う必要があり、施設長の発言力が強くなりがちです。
また、夜勤シフトの調整など、従業員の労働条件に大きく影響する権限も持っているため、従業員は施設長の意向に逆らいづらい状況に置かれています。
また、飲食チェーン店では、有給休暇を申請した従業員に対して、代わりの人を連れてこないと休ませないという労働基準法違反を行っているというのも、よく聞かれることです。
このような状況が続くと、従業員のモチベーション低下や離職率の上昇、さらにはサービスの質の低下につながり、企業全体に悪影響を及ぼします。
人事労務担当者による対策
このような危険性に対して、現場から離れている本社の人事労務担当者は、どのような対策を行ったらよいでしょうか。
勤怠データや離職状況の確認
多数の事業所がある中で、ある事業所だけが離職が多いという状況は目につきやすいものです。
管理者が不適切な行動をとっているとは限りませんが、原因を探る努力をすべきです。
また、離職までいかなくても、遅刻早退や欠勤が増える、休職者が出る等の勤怠状況に目を光らせておくだけでも、事業所の状況をチェックすることができます。
ほとんどの勤怠管理システムにはアラート機能が組み込まれており、次のような場合にメール等でアラートが届きます。
アラート機能を活用して、日頃から事業所の状況を確認しておきましょう。
- 取得有給日数の不足
- 残業時間が規定時間を超えた場合
- 遅刻や早退が設定回数を超えた場合
- 振替休日や代休の有効期限
オンライン面談の実施
コロナ禍を経て、オンライン面談はすっかり日常のものとなりました。
とくに、個別面談の場合は、働きやすさや悩みについて直接聞き取りを行うことができます。
管理職を通さずに直接コミュニケーションを取ることで、現場の本音を引き出すことができるでしょう。
プライバシーを保てる適切な場所がない事業所もありますので、場合によっては貸し会議室を利用する等、工夫しましょう。
現場に定期的に足を運ぶ
多拠点型の事業の場合、通常エリアマネージャー等が定期的に店舗や施設を巡回しているものですが、そのような他部門と相談の上、人事労務管理部門としても、現場に足を運ぶことは重要です。
オンライン面談だけではわからない、現場の雰囲気を知ることができます。
実際に顔を合わせると、ランチをともにしたり、気軽に雑談ができるというよさがあります。
本社の人事労務部門に知った顔があるということは、現場の従業員からすると相談のチャンネルが増えるという安心感につながります。
管理者の意識改革
もちろん、管理者自身も、「王様」にならないための意識的な取り組みが必要です。
心理的安全性のある職場づくり
独断専行ではなく、日頃から部下の意見を聞き、業務について議論できる関係を作っていきましょう。
毎朝のミーティングで必ず職員からの提案や意見を募り、実現可能なものは積極的に採用すること等が考えられます。
また、多拠点型の事業では、従業員はシフト制で働いていることが多く、全員と同じように顔を合わせることは難しいかもしれません。
意識的にミーティングの機会を作ったり、積極的に雑談する等、全員と話ができる環境を作っていきましょう。
別の拠点の管理者や本社の管理部門に相談する習慣
自分の決定に確信が持てないとき、また、部下への説明がうまくいかないとき等、自分ひとりで抱え込むのではなく、別の拠点の管理者に相談をすることが有効です。
管理者の会議等の機会をとらえ、日頃から同じ立場の人達と人間関係を作っておきましょう。
また、拠点の管理者は職場の代表として現場の声を本社の担当部門に届けることも、重要な任務です。
困りごとをそのまま相談すると、自身の管理者としての能力が疑われるという心配があるかもしれませんが、ひとりでなにもかもできるわけではありません。
虚心坦懐に相談してみましょう。
部下の声を本社に届けること、本社からの施策を適切に説明することで、部下との信頼関係を作ることができます。
組織としての仕組みづくり
会社として、以下のような仕組みを整備することが考えられます。
人事ローテーション制度の導入
施設長や店長の任期を決め、定期的に異動させる制度を導入することが考えられます。
これにより、特定の管理者による権力の固定化を防ぎ、新しい視点や方法を各施設・店舗に取り入れることができるかもしれません。
現場の声を直接本社に届ける機会の設定
従業員満足度の定期的な調査や、現場スタッフが直接経営層と対話する機会を設けること等が考えられます。
この取り組みにより、本社の管理部門や経営層が現場の実情を理解し、迅速な問題解決につながる可能性があります。
管理者への定期的な研修実施
全管理者を集めて、定期的にリーダーシップ研修を実施することが有効です。
この研修では、コミュニケーションスキルやハラスメント防止、メンタルヘルスケアなど、現代の管理職に求められるスキルを学ぶことができるよう設定します。
また、このような機会を通じて、管理者同士の横のつながりを作ることを意識しましょう。
より良い職場環境に向けて
多拠点型事業には、人材の異動がしやすく、様々な経験を積ませやすいという利点があります。
この特性を活かし、定期的な人事異動を通じて「王様化」を防ぐことができます。
「キャリアチャレンジ制度」を導入し、従業員が自ら希望する部署や施設に異動できる仕組みを作ることも考えられます。
従業員のモチベーション向上と、組織の活性化に効果的な対策です。
さらに、外部の専門家の活用も効果的です。
ハラスメント外部相談窓口を設置することで、従業員は安心して相談することができます。
カウンセラーと契約し、会社負担で従業員からのメンタルヘルス相談を受けることも検討しましょう。
また、社会保険労務士等の専門家による定期的な労務監査や研修を実施することで、より客観的な視点での改善が可能となります。
年に一度、外部の社労士による労務監査を全施設で実施し、法令遵守と職場環境の改善に努めることも考えられます。
このように、会社全体での取り組みと外部の知見を組み合わせることで、従業員一人ひとりが安心して働ける職場環境を作ることができます。
それは結果として、サービスの質の向上と企業の持続的な成長につながるのです。
冒頭で紹介した山田さんのケースも、このような取り組みにより改善される可能性があります。
人事部の介入により、佐藤施設長は研修を受講し、自身の管理スタイルを見直すかもしれません。
また、定期的な人事異動制度の導入により、山田さんは別の施設で新たなキャリアをスタートさせることができるかもしれません。
多拠点型事業における「王様化」の問題は、一朝一夕には解決できません。
しかし、組織全体で問題意識を共有し、継続的に改善に取り組むことで、必ず解決への道は開けるはずです。
従業員が生き生きと働ける環境づくりは、企業の持続的な成長と発展の礎となるのです。