
ここ数年、多くの企業でハラスメント防止方針や相談窓口が整備されましたが、現場の声を聞くと「相談しづらい」「結局、何も変わらない」というモヤモヤが根強く残っています。
法令対応として最低限の体制は整えつつも、それが実際の運用や従業員の安心感に結び付いていない状態こそ、「形だけハラスメント対策」「の典型と言えます。
本来、ハラスメント対策は「制度があること」ではなく、「困ったときに本当に頼れること」をめざすものです。にもかかわらず、なぜ現場の要望と担当部署の意識にギャップが生まれてしまうのか、ハラスメント対策の専門家として、方針・規程・相談窓口と実際の運用とのズレを軸に、対応策を考えます。
「外部に見せるためのハラスメント方針」と中身のギャップ
「外部に見せるためのハラスメント方針」とは、ホームページや社内ポスターで「ハラスメントを断じて許しません」「相談窓口を設置しています」と力強くアピールされているが、それ以外の対策は行われていない状況のことです。
方針や窓口設置は公にされていても、従業員向けの説明会は開催されない企業も少なくありません。説明会が開催されたとしても方針文が読み上げられるだけで、具体的に「どういう場合に相談すべきか」「どこに相談すればいいか」「相談した後どうなるか」が十分に説明されていない、「説明会をやったというアリバイ作りのための説明会」である場合も多々見られます。
さらに、経営トップのメッセージが一度だけ流れて終わり、日常的な行動や人事評価にそのメッセージが反映されていないと、従業員は「きれいごとだけ」「対外向けの看板にすぎない」と感じがちです。
結果として、「方針は立派だが、自分たちの部署の現実とは別世界」という冷めた見方が広がり、方針そのものへの信頼も薄れてしまいます。
相談窓口が「設置しただけ」で終わっている現実
法令上、ハラスメント防止のためには相談窓口の設置が企業の義務とされており、多くの会社が人事部や総務部に窓口担当者を置いています。
しかし、実態調査では「社内窓口がある」と回答する企業が増えている一方で、従業員が「相談しやすい」と感じている割合は必ずしも高くなく、窓口の利用実績がほとんどない会社も多いと指摘されています。
相談しづらさの理由としては、
- 評価や異動を握っている部署(人事・上司)が窓口である
- 過去に相談した人が、不本意な配置転換等の不利益を受けたと噂されている
- 相談しても「様子を見ましょう」で終わった経験が共有されている
といった声が多く、「窓口があること」と「信頼して使えること」の間には大きな距離があります。
実際の裁判例でも、「相談窓口を設けただけでは義務を果たしたことにならず、相談後の調査や対応が不十分な場合には企業側の責任が認められる」とされており、「設置しておけば安心」という発想は通用しないことが示されています。
初動対応の遅さとフィードバックの欠如が生む二次被害
相談窓口が機能していないと感じさせる大きな要因が、初動対応と結果のフィードバックの弱さです。厚生労働省では、ハラスメント相談に対しては迅速・適切な事実確認と再発防止策が必要であると強調しています。
それにもかかわらず、現場の声を聞くと「相談しても返事が来ない」「時間ばかりかかって進捗がわからない」「結局どうなったのか説明されない」といった不満が絶えません。
筆者が実際に相談を受けたケースでも、せっかくご相談いただいたものの、ハラスメント事案発生からすでに数カ月が経っており、行為者ヒアリングをしたところ「確か何ヶ月も前に人事部から話を聞かれたが、その後音沙汰がないので終わった話だと思っていた。それをなぜ今蒸し返すのか」と不満そうな顔をされる始末。被害を相談した側は数カ月放置されていたために怒り心頭で、かなりこじれた状態でした。
相談者からすると、「勇気を出して声を上げたのに、会社の反応が遅い・あいまい・何も教えてくれない」という経験は、ハラスメントそのものとは別の「二次被害」として心に残りやすく、「もう二度と相談しない」という諦めにつながります。
「方針・窓口・研修セット」が「形だけハラスメント対策」になる構図
近年の調査では、ハラスメント防止規程や内部通報規程の整備は進んでいるものの、規程の運用や教育の体制には遅れや負担感があるとする企業が多いことが報告されています。
具体的には、
- 規程は外部ひな形を流用し、細かい運用ルールや社内フローは未整備
- 年1回のeラーニングで、「ハラスメントとは」の基礎だけを学ぶ形で終わっている
- 管理職や相談担当者への実務研修が十分に行われていない
といった状況が、「方針・窓口・研修はあります」という“対外説明用セット”を作る一方、実効性を伴わない原因になっています。
こうした「とりあえず一通り揃えた」状態は、コンプライアンスやGRC(ガバナンス・リスク・コンプライアンス)のチェックリスト上は○がつきます。人事部等の担当部署からすると、ハラスメント事案はないにこしたことがないという意識の場合が多く、ほんとうに相談が来なくてもそれはそれで構わないという考えに陥りがちです。とりあえず外形的に対策をしたあとは、忙しさに紛れてそれ以外の対策が後手後手になっている事業所が多いと思われます。
そうなると、従業員の体感としては「形だけハラスメント対策」であり、「会社は本気で自分たちを守るつもりがあるのか?」という不信感を生みがちです。そのような意識のギャップが大きくなるほど、ポスターや社内報でハラスメント撲滅を訴えても、「またお題目が増えた」と受け取られてしまい、逆にシニカルな雰囲気が広がります。
「形だけ」から一歩抜け出すための実務ポイント
では、「形だけハラスメント対策」から抜け出すには、何が必要でしょうか。ポイントを整理すると、次のような点が挙げられます。
(1)周知の方法を変える
単に「方針と窓口の連絡先を掲示する」だけでなく、実際に起こりやすいケースを交えながら、「どのようなときに」「どこに」「どう相談できるか」を、研修やミーティングで繰り返し伝えることが重要です。
また、管理職向けと一般社員向けでメッセージを変え、それぞれの立場の従業員に会社は何を期待しているのかを具体的に示すと、責任の所在がクリアになります。
(2)初動対応のチェックリストと標準フローを整備する
相談が来たときにどの点を確認するのかという点や、受けてからの「最初の3日間」「最初の2週間」で何をするかを、シンプルなフローチャートやチェックリストに落とし込み、担当者が迷わないようにすることが有効です。
筆者は企業のハラスメント相談担当者向けの研修を継続的に行っています。そのような研修に従業員を送り出す企業はハラスメント防止に積極的に取り組んでいるはずなのに、相談が来たときのチェックリストやマニュアル類がまったく未整備で、担当者が困りきっているという声を多く聞きます。相談担当者の教育など考えていない他の大多数の企業では、さらに状況がよくないことが想像されます。
チェックリストがない状態では、担当者は相談の際になにを聞いていいかよくわからず、しかも報告書のフォーマットや報告のフローも整えられていないと、どのように報告したらよいかも不明なので、「報告しようと思っても、どのようにしたらよいのか迷ってしまう」という意識が報告書の提出の遅れにつながります。
まず相談が来たときのために担当者向けチェックリスト、そしてその後の報告フローがしっかり示されているかどうかが、実効性のカギになります。
(3)実際の事案への対応を従業員にフィードバックする
個別事案のプライバシーには十分配慮しつつも、「こういう事案があり、会社として対処しました」といった形で、全社にフィードバックすることが重要です。
これにより、「相談しても、ただ揉み消されるだけではない」「会社が学び、変わろうとしている」という感覚が共有され、相談窓口への信頼も少しずつ高まります。
従業員のモヤモヤに寄り添う視点で
企業に働く人の多くは、「方針も窓口もあるけれど、いざというとき本当に頼れるのか?」という不安を抱えています。
立派なポスターや規程自体は必要なものです。しかし、「会社の方針は素晴らしい。でも、私たちの毎日はどうだろう?」という従業員の視点がなければ、制度を整えただけで満足してしまい、「実効性があるかどうか」という本当に必要な視点が欠けてしまいます。
制度と現実のギャップを丁寧に埋めていくことが、「形だけハラスメント対策」「形だけコンプラ」を乗り越える第一歩になるはずです。






