現代のビジネスシーンにおいて「自己研鑽(業務についての学び)」は、もはや避けて通れないキーワードとなっています。国を挙げての人材投資が進む中、労働者自身の意識も確実に変化しています。厚生労働省が発表した「令和6年度 能力開発基本調査」によれば、労働者が自発的に行う自己啓発の実施率は、令和元年度の29.8%から令和6年度には36.8%へと、緩やかな上昇傾向にあります。自身の市場価値を高め、不透明な時代を生き抜こうとする意欲は、着実に社会全体へ浸透していると言えるでしょう。

その一方で、特に若年層の労働観は、かつての世代とは異なる優先順位を持っています。厚生労働省が実施した「平成30年若年者雇用実態調査の概況」からは、15歳から34歳の若年正社員が職業生活の満足度を向上させるにあたって重視する項目は、「雇用の安定性」や「福利厚生」に次いで、「労働時間・休日等の労働条件」がランクインしています。さらに最新の各種意識調査でも、仕事よりもプライベートを優先し、ワークライフバランスを何よりも重んじる若者が増加し続けているのが現実です。

こうした中、ネットでも「若手の成長」を巡る議論が絶えません。先日も、とある飲食店経営者がSNS上で「休日の自己研鑽を若い板前がやりたがらない」という趣旨の発言をしたことがきっかけで、大きな議論が巻き起こりました。経営者からすれば「一人前になってほしい」という親心や技術伝承への危機感からの言葉だったのかもしれませんが、これが現代の労働法制のフィルターを通すと、全く異なる景色が見えてきます。

労働法制にくわしい社会保険労務士の立場からすれば、こうした価値観の衝突は、単なる「世代間のギャップ」では済まされない法的リスクを孕んでいます。経営側の期待が、いつの間にか「違法なサービス残業」へとすり替わっていないか。本記事では、裁判例で示された「労働時間」の定義を整理し、現場の熱意を法的トラブルに変えないための解決策を詳しく説明していきます。

労働時間か自己研鑽かを分ける「指揮命令」の壁

経営者が「自主的な勉強」だと信じて疑わない時間であっても、法的には「残業代の支払い義務」が生じる労働時間とみなされるケースが多々あります。

法律上の「労働時間」とは、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」と定義されています。これは雇用契約書の記載や、「本人が同意しているから」といった主観的な事情よりも、客観的な実態が何よりも重視されます。

自己研鑽が労働時間とみなされるか否かを判断するには、「指揮命令下にあるか」を測る3つの要素をチェックする必要があります。

第一に「参加の強制性」です。これは「全員参加」という直接的な業務命令がある場合はもちろんですが、たとえ形式的に「任意」とされていても、参加しないことが人事評価に不利に働く、あるいは参加しなければ担当業務から外されるといった「黙示の指示」がある場合、それは実質的な強制であり、労働時間と判定されます。

第二に「業務遂行への不可欠性」です。その学習内容が、現在の担当業務を遂行する上で直接的に必要であり、それを習得しなければ翌日からの仕事に支障が出るような場合、それは個人の学びではなく「教育訓練」という業務の一部とみなされます。

第三に「場所・時間の拘束」です。会社が日時や場所を指定し、労働者がその場所から離れる自由がない場合、それは個人の自由な休日の利用が妨げられていると判断されます。「店に来て練習しろ」という指示は、この拘束性に直結します。

学習時間を「労働」と認定した判例の教訓

この境界線について、実務上参考になるのが、前原鎔断事件(大阪地裁 令和2年3月3日判決)です。この事件では、会社が平日の終業後や休日に行っていた勉強会への参加が労働時間にあたるかが争われました。会社側は「参加は自由であり、あくまで技術向上のための自己研鑽である」と主張しましたが、裁判所は以下の実態から労働時間性を認めました。

勉強会の内容が業務改善に直結するものであったこと。欠席する際には理由の報告が求められるなど、事実上の管理下にあったこと。そして何より、勉強会への取り組み姿勢や発言が人事評価の対象となっていたことです。裁判所はこれらを総合的に判断し、「実質的に参加が義務付けられていた」として、不参加の場合の不利益が明文化されていなくとも労働時間にあたると判示しました。

また、高度な専門性が求められる医療現場においても、長崎市立病院事件(長崎地裁 令和元年5月27日判決)という重要な判断が下されています。ここでは医師の抄読会(論文読み合わせ)や学会参加が労働時間かどうかが争われました。裁判所は、完全に自由な意思で行われる研鑽は労働時間ではないとする一方、上司から発表を指示された勉強会の準備や、病院が運営上必要とした研修などは、たとえ形式が勉強会であっても「指揮命令下の業務」であると明確に示しました。

これらの判例が突きつけているのは、経営者が「良かれと思って提供している学びの場」や「成長への期待」が、一歩間違えれば「賃金未払い」という重大な法的紛争の火種になるという現実です。

「それでは若手が育たない」という懸念をどう乗り越えるか

こうした厳格な法解釈を目の当たりにすると、特に伝統的な技術を大切にする職種の経営者からは、「これでは若手が育たないのではないか」「手取り足取り教える時間も残業代になるなら、もう教えられない」といった危惧の声が上がることがあります。技術の伝承が途絶え、結果として若手自身のキャリアも損なわれるのではないかという懸念です。

しかし、法を遵守することと人を育てることは、決して二者択一ではありません。むしろ、現代の価値観に合わせた教育の「仕組み化」こそが、解決の鍵となります。

解決策の第一は、業務に必要な標準的な技術習得を、最初から「経営コスト」として労働時間内に組み込むことです。例えば、飲食店であれば「だし巻きを巻く練習」を営業前後の1時間に設定し、それを「技術研修」という名の正規の勤務時間としてカウントします。これにより、若手は生活の不安なく技術習得に集中でき、会社側も「教えてやっている」という曖昧な立場から「教育責任を果たす」という明確なマネジメントに移行できます。

解決策の第二は、自主的な研鑽を「評価制度」から完全に切り離し、「支援制度」へと転換することです。不参加を減点対象にするのではなく、自発的に学んだ成果を披露する場を設けたり、資格取得に対して「お祝い金」や「受験料補助」を出すといった、プラスの動機付け(インセンティブ)に切り替えるのです。

若手層が労働条件を重視している事実は、裏を返せば「条件さえ整えば、安心して長く働きたい」という安定志向の表れでもあります。ワークライフバランスを担保した上で、「この会社にいれば、無理なく着実に成長できる」という安心感を提供することこそが、結果として優秀な人材の定着と、深いレベルでの技術伝承を加速させるのです。

共感をベースとした新しい時代の成長モデルを構築する

「修業」や「研鑽」という言葉は、日本の産業界が誇る高い技能を支えてきました。しかし、若者の価値観が「雇用の安定」や「プライベートの尊重」へと大きくシフトし、法解釈が厳格化する令和の時代において、精神論や過去の成功体験だけで組織を動かすことは不可能です。

労働法という最低限のルールを遵守するのは、経営者にとっての守りです。しかし、それ以上に重要なのは、従業員が「自ら学びたい」と思えるような、魅力ある組織のビジョンを提示するという攻めの姿勢です。強制的に居残らせるのではなく、本人が自分の将来のために学びたいと願う時間を、会社がどうバックアップしていくか。そのスタンスの差が、数年後の組織の力となって現れます。

学びを強いるのではなく、学びたくなる環境をデザインする。このパラダイムシフトを受け入れ、新しい時代の「育てる文化」を再構築することこそが、これからの人手不足時代を生き抜き、次世代の技術を絶やさないための、経営者に課せられた真の責務と言えるでしょう。