セクハラ行為を咎められて、行為者(加害者)が言う弁明は、かなり似通っています。
一昔前は「スキンシップのつもりだった」というのをよく見かけましたが、さすがに昨今では職場でスキンシップなんてダメということが広まったせいか「コミュニケーションのつもりだった」というのが多数になってきたと感じています。
常々、「ハラスメント対策には、職場のコミュニケーションをよくしましょう」という話をしているので、この手の言い訳を見かけると、「そんなところで『コミュニケーション』なんて、適当に使わないでよ」と、むっとしたりします。
しかし、実のところ、セクハラの行為者やパワハラの行為者が考えている「コミュニケーション」は、本来の内容とはかけ離れた、自分勝手なものなのです。
あるテレビ番組でのセクハラについてのやりとり
そんなことを考えているとき、少し古い記事ですが、行為者の思考回路を理解するために、わかりやすい実例をひとつ見つけました。
さんまは「それがもうハラスメントになるの?」「コミュニケーションとして取れないんだ?」「(服装について)ノースリーブですごいなぁ、とか。これもアカンのやろ?」と、コメント。このノースリーブ発言に関しては、ブラックマヨネーズ・小杉竜一が「ピュアなハラスメントじゃないですか。もうリモート関係あらへん」とツッコミを入れていたが、さんまは「コミュニケーションやろ?」と主張していた。
「また、ブラックマヨネーズ・吉田敬が、『倉本先生に、「先生、今、下パンツ1枚ちゃいますの?」とか言うのは?』と質問した際、倉本氏は『セクハラです』と即答しましたが、さんまは『え? 「スカートはいてないのとちゃうんか?」とか言うたらアカンの?』と食い下がり、『いや、もうアウトですよ』と返されると、『「はいてるわよ」で成立するやないか』『ほいで、3日目にホンマにはいてなかったらウケんねん』と、ボケていました」(同)
明石家さんま、リモートセクハラ問題に理解ゼロ!? 「コミュニケーションとして取れないんだ?」発言に「笑えない」!(2020/09/17 14:56)|サイゾーウーマン
テレビ番組の中での発言なので、「ウケる」ことを狙っているでしょうから、明石家さんまがほんとうにこのように考えているのかはわかりません。
しかし、そこが真実だろうとフェイクだろうと、彼が「コミュニケーション」と主張しているものが、どのようなものかを見ると、ハラスメント行為者が考えている「コミュニケーション」がどのようなものか、よくわかります。
このやり取りの中で彼は、「相手に自分の感想を伝えること、相手になにか質問すること」「相手がそれに(ウケる)反応をすること」を「コミュニケーション」だと言っています。
台本ありきの、コントや漫才の世界ですね。
ここで語られている「コミュニケーション」は、通常のコミュニケーションに含まれる大きな部分が欠けています。
そこに注目してみましょう。
コミュニケーションの相互作用とは
コミュニケーションは、よくキャッチボールに例えられます。
上の番組内でのトークで語られているコミュニケーションは、自分が「伝える、質問する」、つまり「ボールを投げる」ことが中心になっています。
それも、もちろんコミュニケーションの一部ではあるのですが、それがコミュニケーションの中心であると考えると、いろいろなことがうまくいきません。
ここでは、自分ではそのように思っていないのに「セクハラだ」という反応を周りから引き出しています。
キャッチボールでは、相手が投げたら、もう片方は「ボールを取る」、つまり、相手が伝えていることを「受け止める」必要があります。
相手の伝えてきたことを「受け止める」とき、人は様々な反応を示します。
これは、「ボールを投げ返す」ことに例えられます。
その反応は、言葉かもしれませんし、表情や身振り等の言葉以外の表現(ノンバーバル・コミュニケーション)かもしれません。
ボールを投げた方は、受け止めた相手がどのように反応しているのか、どのようなボールが戻ってきたのか確認し、それに合ったボールをまた相手に投げます。
この繰り返しがコミュニケーションです。
伝える、受け止める、また伝える、そのひとつひとつの要素ではなく、相手の反応によって自分もまた反応し、相互に影響し合うというプロセスがコミュニケーションなのです。
よいコミュニケーションをとりたいときには、「相手がどのように反応しているのか確認する」ということが不可欠です。
ここに神経を遣い、相手の感情に配慮することが、相手を尊重するということです。
ハラスメント行為者の誤ったコミュニケーション
逆からいうと、相手の反応を見ないというのは、相手の人格を無視し、尊重していないということになります。
こうなると、それがハラスメントにあたる行為に容易になってしまうことは、おわかりですね。
「スカートはいてないんじゃないの?」と言われた相手は、おそらく眉をひそめたり、不愉快さを顔に表すでしょう。
言葉で「なに言ってるんですか」「やめてください」等と、はっきり抗議するかもしれません。
この話には、その部分がすっかり抜けています。
相手を不愉快にさせても構わないし、相手の反応には興味がないのです。
これが、ハラスメント行為者の考え方の特徴です。
セクハラにしろ、パワハラにしろ、行為者の行動には、次のようなパターンがあります。
- 相手の反応を見ようとしない
- 見ても無視する
- 自分が期待した反応しか認めない
- 相手が不愉快になっているのを確認して楽しむ
すべて、相手が投げ返したボールを受け取る気がない、相手の人格を無視した行動ですね。
これもコミュニケーションと言えなくはないのですが、「一方通行の誤ったコミュニケーション」と言ったほうが正確でしょう。
ハラスメントの行為者にならないためには
ここから、ハラスメントの行為者にならないための、簡単な心得が導き出されます。
相手になにか伝えたり、質問したりしたときは、相手のようすを注意深く観察しましょう。
観察というとおおげさですが、ふつう会話するときは、相手の顔を見ています。
その程度の注意の向け方で、たいていの人は、相手の感情を理解することができます。
相手は自分の言ったことをちゃんと理解しているか、気を悪くしていないか、相手のようすや言葉から確認するのです。
「これを言ったらアウト」とあらかじめわかっているような言葉は、もちろんあります。
しかし、実際のコミュニケーションでは、そこまでひどい言葉はあまり出てこず、自分では何気なく言った言葉が、相手にとって「侮辱された」「ハラスメントだ」と感じられることのほうが多いでしょう。
ひとりひとりの価値観が違う以上、そのようなすれ違いを完全に避けることは困難です。
しかし、「すれ違っている」と、早い段階で気づくことは難しくありません。
相手が投げ返してきたボールをしっかり受け止めることです。
それは、言葉とは限りません。
自分が言いたいことを投げっぱなしにするのではなく、「相互に伝え合う」のです。
その中で、相手の意見と自分の意見のすりあわせを図ります。
それこそがコミュニケーションであり、このような意味でのコミュニケーションがとれているときには、「セクハラだ」という指摘はめったに出てこないでしょう。