職場でのパワハラやコミュニケーション不全が社会問題となり、管理職に対して、部下の感情への配慮が強く要請されています。ところが、実際の現場では「部下の気持ちが見えていない」「知らないうちにパワハラ行為をしてしまう」ケースが後を絶ちません。

その背景には、人間の注意の限界や、「興味がないものは見えない」という心理学的バイアスが隠れています。​

「見えないゴリラ実験」にみる認知の盲点

「見えないゴリラ実験」は、人間の注意範囲がどれほど狭いかを示す有名な心理実験です。

参加者は、バスケットボールをパスする人々の映像を見せられ、「白いシャツの人が何回パスをしたか」を数える課題に集中します。その最中、ゴリラの着ぐるみを着た人物が画面中央をゆっくり歩き、胸を叩いて通り過ぎるのですが、多くの参加者はゴリラの存在に全く気づきませんでした。

こうして「自分が何に注意を向けているか」で、目の前の重要な出来事すら見落とすことがある――この現象を「非注意性盲目」と呼びます。

この実験は、職場でも上司が部下の感情に関心を持たない場合、「目の前にいても部下の感情に気づかない」ことが起こるしくみを分かりやすく説明する例となっています。

人は「選択的注意」によって、自分が価値を感じる情報・関心があることだけに強く集中します。残念ながら、管理職が「部下の感情は仕事の成果・評価には重要でない」と思い込んでいると、目の前でどんなに落ち込んだ顔をしていても、どんなに苦しそうな態度でいても、まったく認識できません。

加えて、組織文化や評価制度が「数字優先」「指示通りに動くこと」を重視していると、さらに感情への関心は後回しになり、部下と真の意味で向き合えなくなります。​

感情無関心がパワハラ体質を生む

「成果」「数字」「業績」にばかり関心が偏ると、部下のちょっとした表情・声のトーン・態度の変化に気づけず、相手の心情が“存在しないもの”になってしまいます。こうした認知の盲点が、パワハラの温床となります。

筆者はハラスメント事案のヒアリング調査を請け負う中で、行為者本人(管理職)との面談を多数行ってきました。「部下が自分の言動で傷ついていたことに気づいていたか?」と尋ねると、実にほぼ100%の行為者が「まったく気づかなかった」と答えます。

​決して意図的に部下を傷つけたつもりはなく、「指導をした」「誤りを正しただけ」と思い込んでいるケースがほとんどです。これは、部下の感情という“自分にとって重要でない情報”が完全に視野から外れていたことの証明です。

部下の感情を見落とす管理職は、知らず知らずに同じ否定的な声かけや命令を繰り返してしまいます。「自分のやり方が正しい」「仕事だから仕方ない」と思い込んでいると、部下の苦痛や違和感を見過ごしてしまい、それが積もり積もって部下の忍耐の限界を超えてしまいます。これが“グレーゾーン”から“明確なパワハラ”への境界線を越える瞬間です。

ハラスメント事案の現場でも、多くの被害者が「ずっとつらかった」「誰にも言えなかった」と語り、行為者側は「知らなかった」「なぜそこまで傷つくのか分からない」と答えます。このギャップは、関心の有無が直接“見えない・気づけない”原因になっていることを如実に示しています。

感情は仕事のエネルギー源

「上司に認めてもらえた」「職場で安心できる」という感覚は、部下のモチベーションと生産性に大きく影響します。逆に、感情が軽んじられ、目先の成果だけ評価される環境では、人間関係が希薄になり、離職やメンタル不調の原因となります。

感情への配慮は、企業や組織の持続可能な成長に不可欠です。​

部下の感情に気づくための管理職のポイント

部下の感情をキャッチする力は、管理職の「意識の角度」を変えることで飛躍的に高まり、パワハラ予防にも直結します。以下のポイントを丁寧に実践してみてください。

・まず「関心がなければ見えない」という自分自身の認知の盲点を理解する
 人間は関心のあるものしか見えません。「気づいているつもり」の不完全さを前提にしましょう。

・部下の“普通”を観察する習慣をつける
 日頃の表情・服装・挨拶・反応速度など、小さな変化を「無意識」ではなく「意識的に」見る癖をつけます。何か違和感があれば一言、声をかけて確認します。

・フィードバックの際は“言葉”と“表情・トーン”をセットで意識する
 誉める時、注意する時も表情や声のトーンを柔らかく意識し、本音と建前が食い違うメッセージを出さないように気をつけましょう。​

・雑談や休憩タイムを意図的に設ける
 仕事以外の話ができる場を作ることで、部下の個性や困っていることを把握しやすくなります。ふとした話題や趣味の話から感情の微妙な変化に気づくことが増えます。

・定期的な1on1面談で「業務以外も」聞いてみる
 「最近困っていることはない?」「仕事のやりがい感じてる?」など、直接感情につながる質問を定期的に投げかけることで、心理的なハードルを下げましょう。

・非言語コミュニケーションにも注意を払う
 部下は上司の表情・しぐさ・距離や姿勢から多くを感じています。自分がどう映っているかを意識してみることは、信頼関係の構築につながります。​

・感情に違和感を感じたら「すぐに確認」し、「決めつけ」で済ませない
 「今日元気ないね」「悩んでいることある?」など、違和感をキャッチしたらできるだけ早く確認します。決めつけず、相手の声を丁寧に聴く姿勢を意識します。

・部下からのフィードバックを受け止める訓練
 自分の言動や指示、評価が“どう受け止められているか”を積極的に聞き、納得できる改善を心がけましょう。

・組織として感情への配慮を評価軸に組み込む
 感情マネジメントの意識を、組織づくりや人事評価、リーダー研修に組み込むことも効果的です。

人間の認知の盲点を知ることで対策しよう

「興味のないものは見えない」「関心がなければ部下の感情に気づけない」というのは、人間の認知の小さな欠点でもあり、必要なことに集中するためのしくみでもあります。そして、管理職がこの性質を“知って対策する”ことで、パワハラ予防・職場づくりの土台になります。

自分は気づいているだろうか? 目の前の“ゴリラ”を見落としていないか――常に問い続ける姿勢が、信頼される管理職への一歩です。