人の話を聞いているとき、「自分も似たような体験があるなぁ」と思うことがありますよね。
または、「わたしの知っている◯◯さんと境遇が似ている」と感じることもあるでしょう。
そういう連想が働くのは、自然なことなのですが、実はこれ、「気持ちが相手の話から離れて、集中できていない状態」なのです。
関係のあることを考えているのだから、相手の話について考えているのと同じでしょ、と思うかもしれません。
でも、そのようなときは、目を見開いて相手のことを見ているようでも、あなたの目は自分の心の中に向いています。
耳は相手の声をキャッチしていますが、あなたが聞いているのは自分の心の中のストーリーです。
見えているけど見ていない、聞こえているけど聞いていない状態になってしまうのです。
はっと気づいたときには、相手はあなたの放心に気づいていて、「ちょっと聞いてるの?」「ああ、ごめんごめん、なんだっけ」ということになってしまいます。
集中すべきところは相手の話なので、これは困りますね。
そんなときはどうしたらいいのでしょうか。
自分の体験や、自分の連想は、とりあえず、脇に置いておくのです。
もちろん、形のあるものではありませんから、頭の中でそのようなイメージをつくるということですね。
一度片付けても、「相手の話から呼び覚まされた心の中の声」は、何度もあなたに語りかけます。
そのたびに「あ、自分はいま相手の話ではなくて、自分の体験のことを考えているな」と気付き、そっと脇によけておけばよいのです。
「脇に置く」という動作ではなく、「考えが雲になって空を流れていく」とか、「考えを木の葉に載せて、流れる水におく」などのイメージを使う人もいます。
人の話を聞いているときに、そんなめんどうなことができるのか、それこそ注意がそれているではないか、と思うかもしれません。
でも、人間の思考の速度は無限大です。
慣れていると、ほんの一瞬で、相手が気づくまもなく、そのようなイメージとともに「心の中の声」を片付けることができます。
スティーブン・キングの小説『ドクター・スリープ』[1]『シャイニング』の続編。本編、続編どちらも映画化されていて、これもおすすめです。では、主人公の少年は襲ってくる魔物を、自分の頭の中にある箱に閉じ込めて鍵をかけてしまいます。
これは超能力者の話なのですが、われわれふつうの人間も、魔物ならぬ、ちょっと邪魔な自分の心の声を、そうやってしまっておくことができるのです。
流れる雲や、水の上の木の葉のように、どこかに行ってしまうのではなく、手元に保管されているので、あとで取り出して見ることもできます。
まったく、人間の心の中は広大で、どんなことでもできるんですよね。
さて、ここまで読んで、この話はなにかに似ている、と感じた人もいるのではないでしょうか。
感じるもなにも、タイトルに書いてあります。
そう、「マインドフルネス瞑想」を行っているとき、心の中で起こっているのは、上に書いたことと同じなのです。
瞑想のときは、だれかの話ではなく、自分の呼吸に意識を集中します。
しかし、そのまま集中できるわけではなく、いろいろな考えや感情が頭の中に湧き出てきます。
そのときに、「ちょっと脇に置いておく」「考えに形を与えて(名前をつけて)、どこかにやってしまう」「とりあえず、棚の上や箱の中に置いておく」というイメージを使って、雑念を追い払い、また呼吸に注意を集中します。
これを、何度も何度も続けるのです。
その練習を続けると、すぐに呼吸に集中でき、なにか考えが湧いてきても、一瞬でまた注意を呼吸に戻すことができます。
よく似た心の動きなので、これは人の話を聞いているときの集中にも応用できます。
つまり、マインドフルネス瞑想を続けていると、傾聴の練習にもなるということなんですね。
瞑想をすると心が穏やかになるといいますが、傾聴もうまくできるようになるので、話を聞いている相手との人間関係もよくなってきます。
一粒で二度おいしい、というのは、なにかのCMでしたが、おいしすぎますね。
ぜひ、意識してみて下さい。
Footnotes
↑1 | 『シャイニング』の続編。本編、続編どちらも映画化されていて、これもおすすめです。 |
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