数日前の記事ですが、ハラスメント行為者(加害者)の認識がよく出ている言葉だと思ったので、ツイッターで言及しました。
そもそも、用もないのに相手の体に触れることは、職場ではしてはならないことです。
どこのセクハラ防止研修でも、そのように教えているでしょう。
組織の長がそんなことも知らず、自分が老人であることを言い訳にするのも、見苦しい話です。
引用した記事のタイトルにも「嫌と言ってくれればやらなかった」と入っていますが、この記事で言いたいことはその部分ではなく、「嫌なら言ってほしかった」という弁明についてです。
実際に「いや」と言えるのか
実際に「いやです」と言われてやめたかどうかはともかく[1] … Continue reading、職位や年齢は書いてありませんが、女性職員が町長に「いや」と言えたでしょうか。
友人同士等、対等な間柄でも、相手が自分のいやなことをしたとき、「いやだから、やめて」とはっきり言うことは難しいものです。
まして、職場のトップ対一職員です。
職員と言ってもいろいろですが、たとえば50代で部長職クラスの女性に対しては、「頭をなでる」という行為は考えづらいですね。
セクハラをする人は、意識的か無意識的にか、反撃されないような相手を選ぶことがほとんどです。
被害者の方は、若い、もしくは、キャリアが浅い、職位が低い、という人だったのではないかと推測します。
この町長さん、そして、多くのセクハラ・パワハラの行為者は、「嫌と言ってくれればよかったのに」と、相手に責任を転嫁します。
しかし、ほんとうに「いや」と言ったら、不機嫌になる、小馬鹿にする、その後ずっとその人に対して冷たい態度をとる、ということが、十分に考えられます。
そのような危険を犯して、直接、Noと言える人は少ないでしょう。
「いや」と言うかどうかは、被害者の問題か
「いや」と言うかどうかを問題にすると、もうひとつ困ったことが発生します。
被害を受けた人が適切な反応をしたかどうか、というところに問題がすりかわってしまうのです。
まさに責任転嫁ですね。
職場のトップが不愉快な行動をしたとき、一職員が「いや」と言えるかどうかは、被害を受けた人個人の問題ではありません。
言ったことで自分が不利な立場に置かれる、という心配なしに、言いたいことが言えるかどうかというのは、職場風土の問題です。
最近では心理的安全性という言葉が広まっていますので、この職場には心理的安全性がなかったために、女性職員は町長に直接抗議できなかった、と言い換えたほうがわかりやすいかもしれませんね。
この言い訳を見ると、おそらくこの町長さんは、町役場内に心理的安全性があるかどうか、考えたこともないのではないでしょうか。
直接言えないときは相談窓口に
心理的安全性という言葉はある程度広まったとしても、日本のほとんどの職場では、絵に描いた餅でしょう。
ハラスメントの被害を受けているときに、職場風土が変わるのを待ってはいられません。
そのような場合のために、ハラスメント相談窓口がどの職場にも設置されています。
もちろん、ハラスメント相談窓口を通して苦情を言うことが簡単ではないのは、よく知っています。
しかし、最初から第三者が間に入って、冷静に処理してくれるのですから、本人に直接「いや」というよりは、多少マシでしょう。
自治体のような職場では、おそらく、そのような場合の処理フローも決まっているはずです。
この件がどうして週刊誌で報道されたのか、経緯はわかりませんが、職場の相談窓口や別の上司ではなく、週刊誌に話を持ち込んだ人がいたとしたら、それも、職場の体質が職員から信用されていないということの証拠になっています。
相談窓口が機能しているかどうか、というのも、実は職場の心理的安全性があるかないかの判断基準になってしまうのです。
Footnotes
↑1 | 別の記事では「女性職員の訴えを受けた町幹部が2021年ごろ、小島町長に頭をなでる行為をやめるよう伝えたこともあったという。」と報道されています。(セクハラ疑い町長「頭なでるくせがある」性的意図は否定 岐阜・岐南町、進退は第三者委調査で判断(岐阜新聞Web) – Yahoo!ニュース) |
---|