向井蘭(むかい らん)弁護士の、ハラスメントをテーマにしたセミナーを聞いてきました。

印象的だったのは、会社から見て能力不足、協調性がないなどの「困った社員」についても、「無視」「排除」「隔離」するとこじれますよ、という部分。

経営法曹というと、「合法的にうまく辞めさせる」という方向性だと思っていたし、向井弁護士も、以前はそのようにしていた、とおっしゃっていました。
しかし、労働力人口がどんどん減っていく中で、いまいる社員を辞めさせても、次にもっといい人を雇えるとは限らない。
能力以前に、だれも雇えないかもしれない。
そこを考えた労務管理が必要だということでしょう。

人手不足とは言いつつ、まだ労働者側が自分の力に気づいていないのではないか、という印象を持っています。
だから、ブラック企業ははびこっているし、労働者側も泣き寝入りするか、そもそも自分が被害を受けていることに気づいていない、という状況です。
でもこれからは、労働者側が会社の方針によって被害を受けていると気づく、つまり被害者意識を持つことによって、大きな力をふるうようになってくるのではないか、と考えています。

最初に書いた「無視」「排除」「隔離」についても、会社側からすると、下策だとしてもそうする理由はあるのですが、被害者意識をもたれやすいという大きな欠陥がある対策なわけです。

客観的に見て被害者かどうか、ということと、その本人が被害者意識を持っているかとことは一致せず、かなりねじれてしまっています。

人口の0.5% もいない在日韓国人が日本社会で大きな力を持っていて、自分は被害者だと思うネトウヨ。
女性が痴漢被害を訴えると、「冤罪事件も多い」と発言する男性。
セクハラやパワハラの行為者だと名指しされると「自分は陥れられた」と思う管理職。

被害者意識たっぷりのこの方たち、ほんとうに被害者と言えるかどうかは、かなりあやしいですよね。
でも、「自分は不当な目にあっている」と考えると、びっくりするくらいの力が出てきて、シャレにならない影響力を持ってしまうこともあるのです。

逆に、いままで性被害を受けても被害者だと発言することすらかなわなかった女性たちが、Metoo ムーブメントで力を持ってきた。
日本ではまだまだ社会現象にはなっていませんが、女性の人権を守るために必要な運動です。

そもそも、職場のハラスメントという考え方自体、もともとなかったところに、被害者たちが声をあげることによって、社会で認められてきたものです。

自分が被害者だと考えることによって力を持つ。
これは確かにある事実です。

でも、次の段階は?
自分はほんとうに被害者なのか?
被害者ポジションをとりあって、なにが残るのか?

そこは少し立ち止まって考えてみたいものだと思います。