現代日本における少子化問題について、時として「女性の社会進出が原因だ」という声が聞かれます。
この主張は、しばしば女性の社会進出を抑制することで出生率を回復させようとする議論につながりがちです。

その極端な例として、下記のような主張が出現し、人々のひんしゅくをかいました。[1]後に百田氏はX上で次のように謝罪しています。「⚫︎謝罪ポスト⚫︎ 「やってはいけないこと」 「あくまでSF」 … Continue reading

百田氏は8日配信の番組で「これはええ言うてるんちゃうで」「小説家のSFと考えてください」と述べた上で「女性は18歳から大学に行かさない」「25歳を超えて独身の場合は、生涯結婚できない法律にする」「30超えたら子宮摘出とか」などと語った。

百田氏「30超えたら子宮摘出」 保守党代表、SFとして発言|47NEWS(よんななニュース)

「子宮摘出」という言葉があまりにひどいので、マスコミではここが主に取り上げられていますが、現実にはこんな主張をまともにとりあげる人はいないでしょう。
しかし、「女性は18歳から大学に行かさない」という女性の教育を制限しようという考え方は、実はそれほど荒唐無稽なものではありません。日本でも、数十年前までは、そのような考え方が幅をきかせていたのです。

しかし、このような考え方は、人権の観点からだけでなく、企業の持続的発展と社会の活力維持という観点からも、根本的な誤りを含んでいます。

少子高齢化が急速に進む現代において、女性の能力を最大限に活かすことは、もはや企業の選択肢ではなく、生存のための必須条件となっています。

本稿では、歴史的な経験と現代の成功例を参照しながら、女性の権利保障と出生率の向上が両立可能であることを示し、それが企業の発展と社会の持続可能性にとって不可欠であることを論じます。

日本でもあった女性の教育機会の制限

戦前の日本は確かに高い出生率を維持していました。
しかし、その背景に女性の基本的人権が著しく制限された社会があったことを忘れてはなりません。

女性たちは高等教育を受ける機会も少なく、職業選択の自由も限られ、家庭内での発言権も少ない状況で、5人、6人という多くの子供を産むことを余儀なくされていました。
教育を受ける権利、職業選択の自由、そして自己決定権という基本的人権が、人口の半分を占める女性から奪われていた状態だったのです。

戦後の日本国憲法では、教育の機会均等が保障され、男女の区別なく高等教育を受ける権利が認められました。
しかし、制度上の平等が必ずしも現実の機会の平等を意味しなかったことは、つい最近まで続いていた現実です。

筆者は60代前半で、地方出身ですが、1970年代後半から80年代初頭の高校卒業時期において、男子は大学進学を大いに奨励されていた一方で、女子の場合は、たとえ成績が良く本人の意欲があっても「女に大学教育は必要ない」と、親が学費を出さないケースをいくつも目にしてきました。
その結果、高校卒業後すぐに就職したり、4年制大学への進学をあきらめて短期大学に進学したりする女子が少なくありませんでした。

これは決して特殊な事例ではありません。
当時の日本社会には、「女性は結婚して家庭に入るのだから、高等教育は無駄である」という考えが根強く残っており、それが家庭内での教育機会の制限という形で現れていたのです。
制度は平等であっても、現実的に女性の教育を受ける権利が阻害されていたのは、そんなに遠い昔のことではないのです。

教育の制限がもたらす深刻な影響:タリバン政権下のアフガニスタンの例

現代において、女性の教育制限がもたらす悲惨な結果を最も顕著に示している例が、タリバン政権下のアフガニスタンです。
タリバン政権は女子教育を極端に制限し、2023年4月までに、学齢期の少女と若い女性の80%が学校に通えなくなりました。

女性の教育を制限するとなにが起こるのでしょうか。
早産率が増加し、未熟な体で出産することによる妊産婦死亡リスクも極端に上がります。
女性の健康の問題だけではなく、経済にも深刻な影響があり、アフガニスタン経済は現在の国内総生産の3分の2に相当する96億米ドルを失うという予想まであります。[2]よくある質問:タリバン支配から3年を経たアフガニスタンの女性たち |  認定NPO法人 国連ウィメン日本協会 | … Continue reading

これは、教育の制限が経済的自立の機会を根本から奪い、女性たちを永続的な従属状態に追い込む手段として機能していることを示しています。
すべての機会を奪われ、未来への希望を失っているであろう女性たちのことを考えると、心が痛みます。
いかに出生率が高くなろうと、このような社会を望む人はいないでしょう。

フランスの事例:女性の権利と出生率の両立

一方、現代のフランスは、女性の権利を守りながら出生率の回復に成功した代表的な例として知られています。

フランスの合計特殊出生率は、1993年に1.66まで低下しましたが、2006年の2.03 を最高に、2014年までは2以上で推移しており、その後低下したものの、2023年で1.68と、日本の 1.20を大きく上回っています。
現在の低下は政策的なものというより、主にフランス社会の高齢化による出産適齢期の女性人口減少が原因であると分析されています。[3]2023年の合計特殊出生率が1.68に低下(フランス:2024年2月)|労働政策研究・研修機構(JILPT)

フランスの成功の鍵となったのは、①手厚い経済支援 ②充実した保育システム ③柔軟な働き方の実現 という3つの政策です。
そして、これらの政策の基本理念が「女性に仕事か子育てかの二者択一を迫らない、多様な選択を可能とする」ことなのです。

また、日本では婚外子が極端に少なく、少子化対策というと若い人を結婚させようという話になってしまうのですが、フランスでは法律婚でなくユニオンリーブル(自由縁組)という生き方が一般化しています。
婚外子の割合は、いまや半数を超えているそうです。
これも、少子化対策とは関係ないようですが、法律婚に縛られない、選択肢が多様である、ということのひとつの現れだと感じます。

    地方から出ていく女性たち

    タリバン政権下のアフガニスタン、フランスというふたつの例を見てわかるように、一部で主張される「女性の社会進出を制限すれば出生率は回復する」という考えには、現代の日本社会では現実的でないことは明らかです。

    教育を受ける権利や職業選択の自由は、日本国憲法で保障された基本的人権です。
    これらの権利を制限することは、単なる機会の制限にとどまらず、個人の尊厳と自己実現の可能性を根本から否定することを意味します。

    現代の日本社会において、性別を理由に基本的人権を制限することは、民主主義の根幹を揺るがす重大な後退といえるでしょう。

    と大上段にふりかぶらなくても、身近な現実がそれを示しています。

    少子高齢化は地方から始まっており、とくに女性の若年人口の都市部への流出が激しいことが知られています。
    地方の若い女性は都会に憧れてふらふら出ていってしまう軽薄な存在なのでしょうか?
    もちろん、そうではありません。

    地方では、まだまだ伝統的な結婚観、家族観が生きています。
    「まだ結婚しないの?」「女は補助的な仕事でよい」「子供の世話は母親がするのが当たり前」「共働きでも家事は女の仕事」・・・
    都市部であってもこのような考えの人はたくさんいるでしょうが、その数の多さと縛りのきつさは地方の比ではないと、筆者を含め多くの女性は知っています。
    若い女性が地方を出ていき戻ってこないのは、仕事のあるなしだけではなく、このような事情が大きいのです。

    女性の権利を制限し「仕事か子育てか」という二者択一を迫ったら、出ていける女性は出ていってしまいます。
    残った女性も「産まない」という選択をする可能性が高いでしょう。

    つまり少子化対策とまっこうから対立するのが、伝統的な結婚観・家族観に代表される「女性の個人の尊厳と自己実現の可能性を否定する」ことなのです。

    社会・経済に与える影響

    タリバン政権の例を見ても明らかなように、女性の社会進出を制限することは、社会全体に深刻な損失をもたらします。
    教育機会を制限された世代が親となることで、次世代の教育の質にも影響を及ぼし、社会の知的資本の低下を招くことが懸念されます。
    このような負の連鎖は、社会の分断を深め、経済的・文化的な発展を阻害する要因となるでしょう。

    とくに、経済的な面では、高度な教育を受けた女性たちの知識や能力が活かされないことは、社会にとって大きな機会損失となります。

    実際、近年の研究では、取締役会やマネジメント層における女性の存在が、企業の意思決定の質を向上させ、イノベーションを促進することが示されています。
    日本政府も「女性活躍推進法」を制定し、企業に対して女性の管理職登用などの数値目標の設定を求めているのは、まさにこのような認識に基づいています。
    経済のグローバル化が進む中、多様な視点や発想を取り入れることは、企業や組織の競争力を高める上で不可欠な要素となっているのです。

    真の解決策:支援と権利の両立

    日本の経験が示すように、法制度の整備だけでは真の教育機会の平等は実現しません。
    社会の意識改革、特に教育が持つ価値への理解を深めることが重要です。フランスの成功例が示す包括的なアプローチには、このような意識改革の視点も含まれています。

    少子化対策として求められているのは、女性の権利を制限することではなく、むしろ以下のような包括的なアプローチです。

    1. 教育機会の保障と拡充
      • 高等教育へのアクセスと生涯学習支援の強化
      • 専門的スキル習得のための支援制度の確立により、キャリア形成を支援
    2. 育児支援の充実
      • 待機児童解消と育児休暇制度の拡充による仕事と育児の両立支援
      • 育児費用の経済的支援による家計負担の軽減
    3. 働き方改革
      • 長時間労働の是正とテレワークの推進による柔軟な働き方の実現
      • 育児との両立を可能にする職場環境の整備
    4. 教育・キャリア支援
      • 出産・育児後の復職支援プログラムの充実
      • リカレント教育とキャリアカウンセリングによる継続的な能力開発支援

    筆者も子供をふたり持ち、3人目の出産を真剣に考えた時期がありましたが、結局ふたりにとどめたのは、次のような理由です。
    子供3人を大学に行かせるには、経済的に自分自身の収入を増やしていく必要がありますが、個人事業主として産休・育休の制度もない中働かなくてはならず、子育てと仕事を両立する体力的な自信がなかったということです。
    夫は毎日長時間労働で、子育てにはまったく当てにならない状況でした。

    そのような個人的な体験からも、高等教育にお金がかからず、子育て中の経済支援があり、子供を持ってもキャリアをあきらめなくてもよい状況であれば、子供の数をもうひとり増やしたいという人々は多いのではないかと感じます。

    人権尊重と少子化対策の両立が企業の発展を支える

    歴史が教えてくれるのは、人権侵害に基づく社会システムは、たとえ一時的に出生率を上げることができたとしても、長期的には持続不可能だということです。
    アフガニスタンの現状が示すように、女性の教育機会の制限は、社会全体の発展を著しく阻害し、次世代の可能性までも奪ってしまいます。

    このような認識に立って、企業には具体的な取り組みが求められています。
    育児休業を取得しやすい職場環境の整備、時短勤務やフレックスタイム制度の導入、在宅勤務の選択肢の提供など、働き方の柔軟性を高めることが重要です。
    同時に、育児休業からの復職支援プログラムの充実や、管理職への女性登用を積極的に進めることで、子育て中の社員のロールモデルを示すことができます。

    特に重要なのは、これらの施策を「女性向けの支援」としてではなく、男女共に活用できる制度として確立することです。
    男性の育児休業取得を積極的に推進し、上司や同僚が育児に理解を示す組織文化を醸成することで、真の意味での両立支援が実現できます。

    つまり、子育てしやすい職場環境の整備は、単なるコストではなく、企業の持続的な成長のための投資なのです。
    それは個々の企業の発展だけでなく、少子化対策として日本社会全体の活力向上にもつながります。
    女性の活躍を阻害するのではなく、すべての社員が自分らしく働き、成長できる環境を整備することこそが、企業と社会の持続可能な発展への道なのです。

    Footnotes

    Footnotes
    1 後に百田氏はX上で次のように謝罪しています。「⚫︎謝罪ポスト⚫︎ 「やってはいけないこと」 「あくまでSF」 という前置きをくどいくらい言った上での「ディストピア的喩え」ではありましたが、 私の表現のドギツさは否めないものがありました。 不快に思われた人に謝罪します。」x.com/hyakutanaoki/status/1855245379547308465
    2 よくある質問:タリバン支配から3年を経たアフガニスタンの女性たち |  認定NPO法人 国連ウィメン日本協会 | 世界の女性と少女に希望の未来を届けたい。
    3 2023年の合計特殊出生率が1.68に低下(フランス:2024年2月)|労働政策研究・研修機構(JILPT)