2026年7月31日、NHKの人気バラエティ番組「チコちゃんに叱られる!」の公式サイトに、「あなたが考えた新しいハラスメント」を募集するという告知が掲載されました。 この件は9月下旬になってSNS上で話題となり、多くの批判の声が上がりました。

筆者も、この企画を批判的にとりあげたポストで知り、下記のようにリポストしています。

こうした企画に対しては、「バラエティ番組なのだから、多少はしゃいでも問題ない」という受け止め方が一般的かもしれません。しかし、ハラスメント対応を専門とする社会保険労務士として見ると、この企画には看過できない問題があります。

この記事では、なぜ「新しいハラスメントを考える」という遊びが危ういのか、ハラスメントという言葉が本来どういう機能を持っているのか、そのうえでマスコミに何を求めたいのかをお伝えします。

ハラスメントという言葉は「命綱」である

ハラスメントへの対応を企業に義務づける法律は、一度に整備されたわけではありません。

セクシュアルハラスメントについては男女雇用機会均等法により事業主の雇用管理上の措置義務が定められ、マタニティハラスメントについても育児・介護休業法および雇用機会均等法により、防止措置が義務化されています。

パワーハラスメントは、2020年6月施行(中小企業は2022年4月施行)の改正労働施策総合推進法(パワハラ防止法)によって、ようやく法的な措置義務の対象に加わりました。

つまりハラスメントという言葉は、単なる流行語ではなく、複数の法律にまたがって段階的に制度的な裏づけを与えられてきた、弱い立場に置かれた人が声を上げるための言葉なのです。

相談の現場では、「これはハラスメントに当たりますか」という問いが、相談者から出ることが少なくありません。 この問いを口にできること自体が、その人にとっての救いになっています。

長い間、「自分が我慢すればいいだけの話ではないか」と抱え込み、誰にも打ち明けられずにいた人が、「これはハラスメントなのでは?」という疑問を感じたことで、初めて第三者に相談する行動に出られる。 そうした場面を、これまで何度も見てきました。

言い換えれば、ハラスメントという言葉は、声を上げる資格を弱者に与える、命綱のような機能を担っているのです。

厚生労働省が公表した「令和6年度個別労働紛争解決制度の施行状況」によれば、全国の総合労働相談コーナーに寄せられた相談件数は120万1,881件で、5年連続で120万件を超えて高止まりの状況が続いています。 そのうち民事上の個別労働紛争に関する相談では、「いじめ・嫌がらせ」が5万4,987件と、13年連続で最多の相談内容となっています(参考:「令和6年度個別労働紛争解決制度の施行状況」を公表します:厚生労働省)。

上司からの叱責が続いても、「指導の範囲内かもしれない」「自分の力不足のせいだ」と思い込み、心身の不調が進んでから初めて相談窓口にたどり着くケースは珍しくありません。 ハラスメントという言葉があることで、被害を受けている本人が、自分の状態を客観的に名付け、周囲に説明できるようになります。 その意味で、この言葉の存在そのものが、早期発見・早期対応につながる予防機能を担っているとも言えます。

「◯◯ハラ」の氾濫がもたらす意味の希薄化

一方で、マスコミがハラスメント概念を娯楽的に消費するのは、今回が初めてではありません。 「スメハラ(スメルハラスメント)」「ヌーハラ(ヌードルハラスメント)」など、日常のちょっとした不快感に「〇〇ハラ」という名前を付けて面白がる報道は、以前から繰り返されてきました。

こうした造語自体は言葉遊びとして無害に見えるかもしれません。

しかし、これが積み重なることで、「ハラスメント」という言葉が指す範囲は際限なく広がり、本来の重みを失っていきます。 「ちょっと不快なことは何でもハラスメントと呼べる」という誤った理解が広まれば、深刻な被害を訴える人の声が、「またその話か」「何でもハラスメントにするのか」という冷めた反応に埋もれてしまいます。

言葉の意味が薄まるということは、その言葉を必要としている人の声が、以前より届きにくくなるということでもあるのです。

公共放送が「募集」した意味の重さ

今回のNHKの企画が、これまでの造語ネタと決定的に異なるのは、視聴者に「新しいハラスメントを考えて送ってほしい」と募集をかけた点です。 単に造語を紹介するのではなく、視聴者参加型で新作を量産させる構造を、公共放送が自ら作ったことになります。

NHKは受信料によって運営される公共放送であり、その情報発信には一定の公共性・信頼性が期待されています。 このような立場にある放送局が、深刻なハラスメント被害の相談件数が高止まりしている状況の中で、「面白いハラスメントのネタを募集する」という企画を打ち出したことは、報道機関としての自覚を欠いた判断だと言わざるを得ません。

「チコちゃんに叱られる!」は、着ぐるみのキャラクターとお笑いタレントの司会者を前面に押し出した、親しみやすさと笑いを売りにする番組です。番組全体がそうした軽妙な色合いを持つこと自体は、バラエティとして自然なことです。しかし、その番組の看板を背負ったまま、深刻な被害の話であるはずのハラスメントを「募集」の対象にしたことで、ハラスメントという言葉は、番組が普段扱っている「笑えるネタ」と同じ棚に並べられてしまいました。番組のブランドイメージが軽妙であるほど、そこに乗せられる言葉まで軽く見えてしまう。この点にこそ、企画の危うさがあります。

「目くじらを立てすぎ」という声への回答

こうした指摘に対しては、「バラエティ番組の企画にまで目くじらを立てすぎではないか」「言葉遊びに目くじらを立てる方が息苦しい」という反論も予想されます。

もちろん、すべての言葉遊びを規制すべきだと言いたいわけではありません。問題にしているのは、笑いの対象として選ばれた言葉が、「ハラスメント」だったという点です。

ハラスメントは、法律に基づいて、社内の相談窓口や研修等の措置義務を事業主に課すための言葉です。その中に被害者を保護するという意味合いもあります。

仮に同じ企画が「新しい労働災害を考えてください」「新しい過労死のパターンを考えてください」であったなら、多くの人が違和感を覚えるはずです。ハラスメントという言葉だけが、なぜか「いじってよい対象」として扱われてしまう。これこそが、問題の本質だと考えます。

こうした風潮は企業側の受け止め方にも影響します。

経営者や人事担当者から「最近は何でもハラスメントと言われて困る」という声を聞く機会が増えています。 この感覚の背景には、メディアが面白おかしく作り出す「新種のハラスメント」の氾濫があります。

本来、企業が向き合うべきなのは、法律が定める措置義務のあるハラスメントです。 ところが、造語の氾濫によって「ハラスメント=何にでも当てはまる曖昧な言葉」というイメージが定着すると、企業側の警戒感が薄れ、本当に対応すべき事案への初動が遅れる結果を招きかねません。

マスコミに求めたいこと

ハラスメントという言葉は、弱者が声を上げるための制度的な裏づけを持つ言葉であり、それを娯楽のネタとして消費する行為は、言葉の機能そのものを損なう行為です。

マスコミに対して具体的に求めたいことは、次の二点です。

一つ目は、ハラスメントという言葉を扱う際、それが被害者にとってどのような機能を持つ言葉なのかを、報道する側があらためて認識することです。 笑いのネタにできる話題かどうかを判断する基準として、「この言葉を必要としている人が、この扱われ方を見てどう感じるか」という視点を、企画段階で持ってほしいと考えます。

二つ目は、視聴者参加型の企画を組む際には、その企画が言葉の意味をどう変質させるかまで想像力を働かせることです。 一度視聴者を巻き込んで拡散させた言葉の使い方は、後から訂正することが極めて困難です。募集を始める前に、その影響を検討する体制を持つべきです。

ハラスメントという言葉を守ることは、特定の団体や専門家の利益を守ることではありません。 声を上げられずにいる人が、いつか声を上げられるようにするための、社会全体の基盤を守ることです。マスコミには、その基盤を面白おかしく掘り崩す側ではなく、守る側に立ってもらいたいと思います。

ハラスメントを「おもしろい」と消費する前に

こうした企画を目にした視聴者に対しても、一つ提案したいことがあります。

それは、「おもしろい」と感じたとしても、その感覚をそのままSNS等で拡散しない、という選択です。この種の企画が繰り返される背景には、視聴者の反応がある程度の話題性を生んでしまう構造があります。違和感を覚えた場合は、拡散するのではなく、番組の意見募集窓口などを通じて、直接その違和感を伝える方が、次の企画の抑止力になります。

ハラスメントという言葉を今後も必要とする人のために、その言葉を軽く扱う演出には同調しない、という個人の選択の積み重ねが、マスコミの姿勢を変える力になるはずです。