Green Fish

個人的なあれこれ。

2006年8月5日
から greenfish
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特別永住に至る法的地位の経緯


まずこちらをご覧ください。大阪府のサイトです。
 在日韓国、朝鮮人の在留(←リンク切れになっていますが、内容は下に引用してあります。2009/10/11 追記)
これ以上短くできんというくらい、簡便にまとめてありますね(笑)
この文章に沿って、少し説明してみようと思います。

第2次大戦終戦前から戦後引き続き日本に在留している韓国人、朝鮮人又は台湾人は、1952年平和条約発効により、日本国籍を喪失したが、在留資格、在留期限の定めがなくても在留ができ、活動の制限はない (法126の2の6)。

法126号というのは、正式には「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」という長い名前の法律です。入管法第○条ではありません。

朝鮮が日本の一部だった時代、日本人として「外地」からパスポートを持たずに「内地」に渡ってきた一世と、日本の敗戦までに生まれた二世が、この法律の対象となりました。それまでは、外国人ではなかったので、とくに在留期間も定められず、就労などの日本国内での活動に制限はなかったのですから、現状を追認したものだといえます。

わたしの家族についていえば、父方母方双方の祖父母、両親が持っていた在留資格がこの法126-2-6 でした。

そして、わたし自身は、1963年生まれなので、最初の在留資格は「4-1-16-2」というものだったはずですが、自分ではぜんぜん覚えてません。

(参考 入国管理今昔 Vol.6 – Newton 行政書士の世界)←リンク切れになっています。下記のpdfをご参照下さい。(2019/02/17 追記)

入国管理今昔 ~在留資格「4-1-4」「4-1-6」「4-1-16-1」~/行政書士 林 幹」 

その後1965年12月日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定 (日韓地位協定) が締結された。これに伴い、1945年8月15日以前から申請の時まで引き続き日本に居住している者、および直系卑属として1945年8月16日から協定発効から5年以内に日本で出生した者はその後申請まで引き続き日本に居住した者は、申請により永住権が付与された (協定永住)

法律126号は、確かに間に合わせの法律で、戦後生まれた人たちの在留資格が不安定でした。(在留期間は3年。ただし、期限が来て更新に行けば、とくに審査もなく、ほとんど自動的に更新されていたようです)そこで、法律126号対象者の子孫にも安定した法的地位を付与しようと、「協定永住」という在留資格が作られました。

ただ、この法律では、「韓国籍」への切り替えが必要だったため、あえて申請せず、法律126号にとどまる人たちがかなりいました。祖国の分断状況が、在日社会へも持ち込まれたわけです。

また、一般の永住資格より緩和されていたものの、退去強制条項はあり、協定永住一世(1965年現在で、日本に在留していた協定永住申請者。いわゆる一世、二世とは意味が違い、1963年生まれのわたしも、協定永住一世にあたる)から数えて、孫までしか永住権が保障されず、それ以降については、先延ばしにされていました。 
 

1981年、法126の2の6とその子について、1982年から5年間に限り、申請により無条件で永住が許可された (特例永住)。

ここでまた「特例永住」という新たな在留資格が出てきます。「協定永住」をとらなかった法126号系統の人たちが対象となりました。で、なにが「特例」なのかというと、「申請により無条件に永住資格が許可された」という点だけで、「協定永住」のように「一般永住」とは別の規定がおかれたものではありませんでした。

そして、1991年に至って、やっと「特別永住」という資格が出てきます。「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」(入管特例法)が制定され、今度は申請ではなく、対象者全員の在留資格が自動的に切り替わりました。これによって、旧植民地出身者の在留資格がやっと一本化されたわけです。

「特別永住」と「一般永住」が違う点は、一般永住者の子が自動的に永住資格を付与されないのに対して、特別永住者の子であれば、特別永住者となるということと、退去強制事由が、緩和されているということの2点です。

退去強制自体がないわけではありません。また、日本からいったん出国して、再入国許可の期間内に戻らなかったりすれば、永住資格もなくなってしまいます。

長々と説明しましたが、1947年の最後の勅令「外国人登録令」によって、日本国内に突然60万人以上の「外国人」が出現したわけです。要するに特別永住者というのは、その子孫であり、戦前に日本に在留資格も在留期間もなく住んでいた(日本国籍なので当たり前ですが)、その既得権を受け継いだ人たちだということができます。

特別永住者の問題を、他国の入管政策との比較の中で考える場合は、旧宗主国の国内に住んでいる旧植民地出身者の処遇と比較することが必要です。「移民」や「難民」ではありません。

植民地を解放する際には、宗主国内にいる植民地出身者には、国籍を認めることも含め、特別な法的地位を与えるのが通例です。その国の国籍法が生地主義であれば、二世以降はその国の国籍を取得するわけですし、血統主義であっても、自国内で出生し、引き続き定住している人たちには、多くの国が申請のみによる国籍取得を認めています。少なくとも、旧宗主国の中で、在日韓国朝鮮人のような立場の人たちを、二世以降、何世代にもわたって、外国人のまま処遇しているのは、日本だけです。

もちろん、これについては、在日の側から国籍を求める声が少なかった、という点も指摘しておかなければなりません。その理由としては、どちらも「単一民族」であるという幻想を持った日本と韓国というふたつの国の狭間にあって、国籍=民族という考えからなかなか脱却できないということが一点、もう一点は、民団と総連の対立の中で、どちらも国籍によって団員をつなぎ止めておく必要があったという点、が考えられます。

なまじ日本人とは異なる国籍を持っているがために、国籍がアイデンティティの証明になってしまい、子供に民族教育を受けさせた一部の人をのぞいて、民族としての内実になるべき、言葉や習慣などの伝達が行われなくなってしまったのは、くやんでもくやみきれないことだなぁ、と思います。といっても、過ぎ去った月日は元に戻せないわけで、日本で生まれ育ち、ずっと日本名を使い、言葉もわからないし、外国人登録証の切り替えか、パスポートをとるときでもなければ、自分の国籍さえも意識しない人が大多数である、という現在の地点から、考えていくしかないわけです。

2006年6月8日
から greenfish
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公務員よ、怒れ


各地の社会保険事務所で、国民年金保険料を不正に免除していた、というニュースが連日報道されている。

社会保険庁が、国民年金保険料の徴収事務のため、所得情報を市町村から手に入れられるようになったのが、2004年10月。この情報がなければ、この不正はできないので、始まりはこれ以降であることは、はっきりしている。そして、民間出身の村瀬氏が社会保険庁長官に就任したのが、2005年の7月。年金納付率の引き上げにノルマが課されたのはこの後だから、不正が本格的に行われたのも、このころからだろう。1年も経たずにばれてしまい、大問題になっているわけだ。

「在日特権」とやらの夢物語を信じている人たちは、このニュースに接して、在日が免除されているという国民年金保険料の不正が、なぜばれないのか、不思議に思わないのだろうか? 

年金保険料だけではなく、固定資産税やら、水道料金やら、様々な公共料金が免除されている、というコピペが出回っているようだが、実際に「免除される」には、不正に「免除する」操作をする公務員がいなければならない。何十万人という対象者がいて、しかも全国に散らばっているわけだから、関連する自治体や公務員は膨大な数にのぼるはずである。いくらマスコミが報道しなくても、何年にもわたって、不正に関わった公務員全員の口をつぐませることなど不可能だ。

日本の役所の徴収システムは、そんなに簡単に不正を許すほどザルで、日本の公務員のモラルはそんなに低いのだろうか?

「在日特権」を喧伝する人たちは、在日憎しのあまり、無実の公務員に不正の嫌疑をかけているわけである。このデマについて、ほんとうに怒らなければならいのは、各地方の徴収事務を行っている公務員たちだろう。

2005年1月27日
から greenfish
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好ましい被害者


夕凪の街 桜の国

実は読んでから1ヶ月くらいたつのだが、感想を書こう書こうと思って、そのままになっていた。というのは、このマンガからわたしが感じたことと、絶賛がほとんど、というほかの人の感想のあまりの乖離に、どう語ったら、自分の感じたことが少しでも伝わるのか、とへんに考えてしまったのである。まあ、あまりほっておくとまた忘れてしまうので、とりあえず書いてみることにする。

細かいところまで神経の行き届いた、よくできた作品である。作品自体に、別にけちをつけたいわけではない。だが、正直どうもすっきりしないのは、この静かな物語が、どうしてこれほど感動を呼び、「泣ける」ということになるのか、そちらにばかり関心がいってしまうせいかもしれない。

主人公たちは怒りをあらわにしない。静かな諦念の中にいる。泣いたりわめいたりせず、ただ日常を淡々と生きる人たち。確かに、原爆の惨禍で人生をずたずたにされても、多くの人の生き方はそのようなものだったのだろう。そこを掬い取って見せることにより、かえって無残さを際立たせる。そのような手法は理解できる。これを読んで感動した人たちも、たぶんそういうものとして受け止めているのだろう。

残虐な事件の被害者やその家族が、涙を押し殺し、淡々とした態度で、周りに配慮さえしてみせる姿は、その人たちの徳の高さを見せてくれる。感動を与えるのは当然かもしれない。だが、そういう被害者像を好ましいものとして受け止める感性は、あまりに日本人的だなぁ、とわたしには感じられる。その裏に、外野にとって好ましくない被害者、つまり、恨みをぶつけ、取り乱す姿を、醜い、自分勝手、とそしる残酷さを見るような気がして、そこがどうもひっかかるのである。

思わず目を背けたくなる、いたたまれない現実を覆い隠し、さりげないユーモアにくるんで、提示する。表現としては洗練された高度なものである。『夕凪の街 桜の国』が受け入れられるのは当然だ。だがその一方、生の姿を露骨に描き出す『はだしのゲン』のような表現が忌避されるとしたら、それは受け止める側の衰弱を表すものにほかならないだろう。

2005年1月24日
から greenfish
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得難い人材


ジェンダーフリー・性教育バッシング―ここが知りたい50のQ&A

ジェンダーフリーを攻撃するサイトを見ると、二言目には「風呂や更衣室も男女いっしょ」にしようとするものだ、と出ているが、それがまったくデマであることが明らかにされている。

ひとつのトピックにつき、2,3ページでまとめられているので、性教育やジェンダーフリー教育の現状について概略の知識を得るにはよい本だと思う。内容的にも、実際の教育の現場を見ていなければ書けないようなものが多く、地に足がついていると感じた。


で、テーマからはちょっとずれてしまうのだが、この本にもっとも登場する人名は、間違いなく「山谷えり子」だろう。

再三にわたり、ジェンダーフリー教育反対の立場から国会質問をし、

二〇〇三年七月の衆院予算行政監視委員会で、山谷えり子衆院議員(保守新党)(※引用者注 当時。現在は自民党)は「長崎市の種本駿ちゃん四歳が、十二歳の少年の手によって殺されました・・・・」、その後の衆院予算委員会でも「手錠をかけられて少女四人が監禁されていました・・・・」などと「過激」性教育批判をする前に枕詞のように重大事件を話しています。これは世間を騒がしている性に関わる事件が、さも「過激」性教育に原因があるように錯覚させるための手段です。 (前掲書77ページ)

と、なかなか立派なデマゴーグぶりである。

確か、むかし民社党の政見放送でよく見たような気がするのだが、当時は当選できなかったらしい。で、2000年に民主党の比例区で衆院当選、2002年に民主党を出て保守新党に入り、2003年に東京3区から4区に鞍替えしてまで衆院に立候補するも落選、2004年の参院選比例区で、今度は自民党から出て当選。なんだかよくわからない経歴である。しかも、カトリック教徒でありながら、勝共連合の機関紙である「世界新報」にたびたびインタビューなどで登場したことから、統一協会との関係も云々されている。元サンケイリビング編集長ということで、産経ともつながりあり。

思想性のほうは、あれこれ見れば見るほどよくわからなくなってくるのだが、印象操作に長けているのは間違いないだろう。言ってることは根拠に乏しいし、ごく単純な手口なんだけどねぇ。自民党にとっては、得がたい人材かもね。

2002年5月22日
から greenfish
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逸脱者へのペナルティ


実際のところ、夫婦別姓を選べる規定を民法に盛り込んだところで、男女同権だの、家族の一体感だの、別姓選択可能法案(長いし、見かけない言い方だが、「別姓法案」というと「同姓か別姓か」という二項対立の印象を与えてしまうので、あえてこう書く)に賛成反対の双方が持ち出している論点には、あまり大きな影響はないんじゃないかと思う。別姓が選択可能になったら、実際に別姓にしたいと答えている人は、大体1割くらい、というアンケート結果を以前見たことがあるが、実感としてもだいたいそんなところだろう。1割という数字が社会に与える影響はもちろん無視できないが、短いスパンで大きく変わるという数字でもない。

別姓選択可能法案の持つ本当の意味は、実は社会的規範の逸脱者へのペナルティーがひとつ減る、というところにある。

民法で夫婦どちらかの姓を選ぶ、ということになっていても、実際には男性の姓を選ぶ夫婦が9割以上、という結果は、当然ながら、そこに「妻は夫の姓をなのるべき」という社会的規範が働いているからである。それを無視すると、嘲笑や噂の的にされたり、親やうるさい親戚に意見されたりと、さまざまな不愉快を味わうというペナルティーがつく。

日本では20代からせいぜい30代前半に結婚して、ふたり程度の子どもを持ち、結婚後は夫の姓をなのり、妻は専業主婦になるという社会的規範があって、結婚しない人、子どもを持たない人、妻が結婚後も外で働いている人、または、夫が外で働いていない人、離婚した人、その他もろもろ、規範から逸脱している人には、税制、社会保障制度上不利な立場におかれたり、他人からごちゃごちゃ言われるという精神的苦痛を味わうことになる。先ほど述べたように、結婚後も双方が改姓したくない人たちに与えられるペナルティーもこの一環である。

昔から、経済力とか精神力とか芸術的才能とか、性的魅力ってのもあるな、などなど、なんらかの能力を持つ人たちは、ペナルティーなどものともせず、望めばこういう社会規範の埒外にいられた。能力というとおおげさだが、結婚後も別姓を続けたいと思えば、現状でも法律婚をしなければいいだけのことで、税制上の扶養家族の枠に入らない経済力を持ち、他人からなにか言われても受け流す精神力を持っていれば可能という、その程度の話である。だが、大多数の人は、「そういうものだ」と思って、それらの規範を受け入れている。意識はされていないが、その底には、逸脱した場合のペナルティーへの恐れがあるのは間違いないと思う。

大半の人が、社会的規範が定める生き方を自らしたいと望んでいる社会というのは、治める側にとっては、ものすごく手間の省ける、安上がりな社会である。年寄りの面倒は家族で見るべき、という規範ひとつをとっても、それが崩れかている今、どのようなコストをかけて老人介護を社会的なシステムとして構築しなければいならないか、考えただけでも、わかるだろう。経済的な面だけではなく、いろいろな意味で、きゅうくつに慣れている国民には、別のきゅうくつもおしつけやすいし、多少の不満はあっても「そんなものだ」という納得も得られやすい。

こう書くと、「最近はそんなでもないんじゃない?」という声が出てきそうだが、実際、わたしが覚えている限りでも、10年前、20年前と比べると、社会的規範の強制力は、明らかに緩んできている。そして、いまの日本を支配している層が、それに危機感を感じていないとは、とても考えられない。民法の別姓選択可能法案に反対している人々のほんとうの意図は、社会的規範の緩みをこれ以上放置できない、という危機感にあるのではないか、というのが、わたしの推論である。もちろん、選択肢が増えること自体がよくない、なんてことは、おおっぴらに言える話ではないから、あくまで推論にしかならないが。状況証拠は山ほどあると思うがどうだろうか。