Green Fish

個人的なあれこれ。

2002年2月22日
から greenfish
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恐怖される恐怖

オウム真理教(現アレフ)の信者が、転入先で地域住民の移転反対運動にあい、住民票の受理を拒否される、という事件が続いたころも、わたしは完全に信者側にたってことの推移を見ていた。地域住民から強い不信感、不安感が表明されれば、法の保護は、もう彼らには与えられないのだ。

現段階では、裁判に信者側が勝っている地域もあるので、法の保護は期待できない、というわけでもないのだが、そのころは、そのニュースを見るたびに、恐怖でいっぱいになった。アレフ信者が怖いのではなく、地域住民が怖かったのである。

ところが、夫を含めて、わたしの周りのちゃんとした見識を持っていると思っていた人たちが、だれも口をそろえて「理屈はそうだろうけど、実際にオウムが近くに越してきたら怖いよ。住民の対応は無理もない」という意見だったので、わたしはますます落ち込んだ。

人間がもっとも残酷になるのは、恐怖にかられたときである。やらなければ自分がやられる、と思えば、ふだんは分別のある善良な人でも、驚くほど無慈悲に暴力をふるうことができる。韓国映画の「JSA」を見た人、原作を読んだ人なら、すでに絶命した相手に何発も銃弾を打ち込む、という残虐な行為が、どんな感情から出てきたのか、すぐに思い当たることだろう。

風貌、言葉、習慣の違う外国人は容易に「怖い」「気持ち悪い」という対象になってしまう。そして、「善良な市民」に恐怖されれば、彼らの攻撃にさらされるまでの距離は、ほんの少しなのである。

理由もなく恐怖される恐怖。そんなものにおびえるのは、考えすぎなのだろうか。

(原文は当時の Web 日記へのリンクがあるが、文意を変えない範囲で修正してあります。2021/07/25)

2000年5月21日
から greenfish
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とばっちり


わたしは「支那そば」と看板を出したラーメン屋には入らない。「中華そば」でも「ラーメン」でもなく、わざわざ「支那そば」と銘打って、むかしながらの味だということでもアピールしたいのかもしれないが、街中にでかでかと差別語を掲げて、恬として恥じない神経にはぞっとする。

「支那」が差別語だということに関して、異論があることはもちろん知っている。一言で言えば、同じ「秦」由来の言葉であるのに、China などヨーロッパ系の言葉はよくて「支那」はなんでだめなんだ、ということだろう。

言葉にはさまざまな背景や意味合いがあって、語源というのは、そのひとつにすぎない。明らかな誤用であっても、それを多くの人が使うようになり定着してしまえば、それもまたアリなのである。「ら抜き」言葉を例に取るまでもあるまい。語源に問題がなければ、その言葉にも問題がないかのように言う人を見ると、知識をひけらかすわりには、そこから今にいたるまでにその言葉がたどってきた歴史を無視するという、ご都合主義を感じる。

「チョン」とか「北鮮」という言葉からわたしが感じる不快感から推し量れば、「支那」という言葉も決して軽々と使っていいとは思わない。「三国人」じゃないけど、この話をするのに、この言葉をさんざん連呼しなくちゃならないのは、皮肉な話だが。

さて、「チョン」といえばよく出てくるのが「バカチョンカメラ」である。「バカチョン」の「チョン」が朝鮮人の蔑称というのは俗説というか誤解で、本来は「バカ」と同じ意味合いの古い言葉だというのが正解のようだ。

だが、それを知っていても、わたしは自分では決してこの言葉を使わない。もともとのこの言葉からすれば、とんだとばっちりだが、同じマイナスの意味を持った別の「チョン」をやはり連想するからだ。

なんとなくヤな感じがするのはこちらの勝手なので、「支那」がNGなのとは訳が違うが、できれば、早く消えてなくなってくれればいいと思っている。使う人がいなくなって死語になる古い言葉がたくさんあるのに、「バカでもチョンでも」という言い回しだけをそう後生大事に守らなければいけないこともないだろう。

いちいち注釈をつけたり言い訳をしたりしてまで、この言葉を使いたい人たちを非難するつもりはない。わざわざご苦労さん、と思うだけである。

2000年4月5日
から greenfish
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入学式


31年前のちょうどいまごろ。地元の公立小学校の入学式のあと、母は校長室に呼ばれ、新一年生のわたしは廊下でひとり待たされた。

在日の子どもは、当然に日本の小学校に入学するわけじゃなくて、事前に役所に申し出ておく必要がある。民族学校に行く子もいるし、そもそも日本国民じゃないんだから、日本の学校教育を受ける義務はない。国民じゃないにしろ、自治体の住民には違いないんだから、教育を受ける権利はあるのかな? 実際には、むかしも今も日本の公立学校は外国人の子どもも、受け入れているけど。

それはともかく。入学式の日時などがわかっていたのだから、日本の小学校に入学する意志は示していたのだと思うが、手続きが完了していなかったらしい。母が校長室に呼ばれたのは、その手続きのためだった。

そのときのわたしはそんな事情を知る由もなく、「待ってなさい」といわれたので、ただ待っていたのだと思う。別にさびしいとも悲しいとも不安だとも思っていなかった。

だが、はたからはそうは見えなかったようで、ひとりの男の先生が近寄ってくると、「なにも心配することはないよ」などと慰めながら、抱き上げてくれた。泣き出すといけないと思ったらしい。

6歳にもなると、だっこされることなどまずない。先生だということはわかっていたが、知らないおじさんに抱き上げられて驚いたので、そのことはよく覚えている。

歩くと廊下がぎしぎしなる、木造のオンボロ校舎だった。翌年にはその校舎は取り壊され、立て替えられたので、今はもうない。

1999年11月23日
から greenfish
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お掃除


きょうは、上の子のサッカーの試合で、朝早くから出かけていた。4時半ころ戻って、メールチェックすると、掲示板に大きなゴミが落ちていたので、即削除。

だが、わたしが出かけていて気づくのに遅れたために、何人かのお客様の目に触れてしまったらしい。別にわたしの責任ではないとはいえ、いやな気持ちにさせてしまったに違いないので、申し訳なく思う。

わたしはというと、「ああ、とうとう来たか」という感じで、それほど心は騒いでいない。こういうとき、もっと腹を立てるべきなのかもしれないが、公開の場で在日だということを明らかにして、在日の立場でいろいろ書いていれば、そのうち来るものだと思っていた。

この汚物の出所ははっきりしている。

数日前から、わたしと同じように日記猿人に参加している人と、つまらないことで争いを演じていたが、そのことを、ネット上のゴシップを集める云々というHPの掲示板に書き込んだ人間がいる。内容を要約して書こうかと思ったが、あまりにしょうもない内容で、自分の言葉で言い直す気になれないので、そのまま掲載する。

クレーマー降臨
 投稿日 1999年11月22日(月)04時31分 投稿者 名無し 削除
ここ
http://member.nifty.ne.jp/yhlee/new.htm
在日の同胞が守っているが、各方面で在日という水戸黄門の印籠で
いつも生きている立派なお方です
トラブルは常に起こしてきた御仁ですがさっそく日記猿人でも
やってます

アダルトサイトが、多くのアクセスを集めると同様、こういう下種な内容のHPも、想像もつかないようなアクセス数を集めているらしい。この書き込みを見てここを訪れた野次馬は、すでにのべ400人を超えている。

もっとも、きのうの日記など韓国語の勉強がどうの、という、しごくのんきな話だったので、わざわざのぞきに来たアホどもは、期待はずれだったと思うが。過去日記を読む手間をかけても、別に罵詈雑言も、人格攻撃も何もない。ご期待には添えないが、どうせ来たのなら、たくさん遡ってしっかり読んでいってもらいたいものである。

わたしは、このページのアクセス統計を取っているので、訪問者がどのサイトから飛んできたかはわかっているが、これをわざわざメールで知らせてきたバカがいる。こういうくだらない人間に、人間同士の礼儀など必要ないので、メールをヘッダも含めて全文掲示してもよいのだが、これもまたどろどろの汚物で、見た人を不快にさせるだけだから、やめておいた。メールアドレスもお約束のフリーメールなので、たぶん実体はないだろうし。

わたしの掲示板に汚物を撒いた人間も、このゴシップ掲示板から来ている。めちゃくちゃわかりやすい筋立てである。

わたしがけんかっ早い人間だというのは事実だろう。しょっちゅう争い事を起こすのだから、人格にもどこか欠陥があるのかも知れない。だが、こういう悪意のある人間や、悪意がなくても無神経な人間の攻撃にたびたびさらされていれば、ケンカなれもしてくるというものである。

在日に限らず、だれの人生もまた戦いだろう。ただ、在日に言えることは、いくら平和を望んでいても、多くの戦いを強いられるということである。別にヒーローを気取っているわけではないが、チョゴリを着た少女たちが安心して街を歩けるようにするためにも、やっぱ、逃げるわけにはいかないよね。

1999年9月30日
から greenfish
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洗濯日和

きょうの宇都宮は、さわやかに晴れて、きれいな青空が広がっている朝干した洗濯物が、もう半乾きくらいになってるし。
その中に、下の子のちっちゃいパンツと半ズボンが何枚も。。。(^^; そう、オムツはずしの真っ最中なのだ。2歳とはいえ、しゃべるのはずいぶん達者で、うるさいくらいなんだけど、「オシッコ」は、がんとしていいわないんだな、これが。(^^;
上の子のときはどうやってはずしたんだか、あまり前のことなので忘れてしまった。
お兄ちゃんはもう5年生で、弟になぐられたり蹴られたりしても、じっと耐えているやさしい子に育ってくれた。 幼児とはいえ、加減がないからけっこう痛いんだよね。