Green Fish

個人的なあれこれ。

2008年8月24日
から greenfish
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「本名」「通名」に関する自分語り


きのうのエントリーにつけてもらった、Gさんのツッコミについて。コメント欄に書こうとしたら、えらい長くなったので、エントリーたてました。

「通名」というものに対して在日コリアンが抱いている感覚、というのは、「ふつうの日本人(という言い方は好きではないのですが)」にとってもっとも分かりづらいもののひとつかもしれません。自分も、理屈ではなんとなく分からないではないような気がしなくもないけれど、感覚的につかんでいるかというとそうでもなく、どう言葉で表現したら良いか分からなくなってしまいます。

「在日コリアンの感覚」といっても、千差万別なのはもちろんですが、(ぐるぐるさん自身はそんなこと百も承知でしょうけど、読んでる他の人のために、念を入れてます。)民族教育を受けた人と、わたしのようにずっと日本の教育しか受けたことのない人の感覚というのは、やはり大きく違うと思います。要するに、民族教育を受ければ、その中で「本名」で呼ばれるので、「本名」が実際に名前として内実化されるけど、そうじゃない人にとっての「本名」はほとんど実態のない、書類上のものにしかすぎない場合が多い、ということです。

民族教育を受けていない三世の話、という限定をつけて、わたしの経験を書きましょう。

「通名」を使っている在日の名付けのしかたにはいくつかのパターンがあって、ひとつは、日本名と民族名という形で、最初からふたつの名前をつける場合。もうひとつは、日本名しかつけず、それをそのまま読み替えて「本名」とする場合。みっつめとして、民族名をつけ、それを日本の名字にそのままくっつけて、日本名とするやり方。さらに、韓国語でも日本語でも同じ読みになる名前をつけて、共通に使う、というやり方もあります。

わたしの場合は、二番目で、実は民族名というのは最初からないのです。日本名が優先か、と驚かれるかもしれないけど、在日の、とくに女性にはけっこうこのパターンが多くて、父の兄弟など、父や叔父たちは日本名と民族名のふたつがあるけど、叔母は日本名のみ。母の兄弟もそうで、あきらかに女の子は雑に扱われてます。わたしの兄弟は、わたしだけでなく、妹も弟もこのパターンだから、まだ男女平等ですねぇ。

話がそれましたけど、将来子供が「本名」を使うだろう、なんて親はあんまり思ってなかった、というのは、この話からもわかると思います。

高校を卒業後、「通名」から「本名」にした経緯は、以前に詳しく書いたんですが、この中に書いてないことがあり、大学に入学したときに学籍簿に登録した名前は、本名を日本語読みしたものだったんですね。「이영향」という発音は、そのころ、自分にとってまったくリアリティがなく、とても自分だとは思えない、ということで、こういう風にしたような覚えがあります。だいたい、韓国語はぜんぜんできなかったので、カタカナで読んでるだけで、正確な発音も知らなかったし。まさにわたしにとって、名前だけではなく、民族性なんて遠いものでした。

それなのに、なぜ「通名」をやめて、曲がりなりにも「本名」にしたかというと、「自分を偽らずに生きたい」ということなんでしょうね、やっぱり。だから、きのうのリンク先の同胞女性の書かれていることは、わかりすぎるほどよくわかります。(←このリンク先は、現在プライベートモードになっていて、閲覧できません 2016/08/26追記)

でも、日本名で過ごした時期も、もちろんわたしの人生の一部分であるし、その名前を呼んで、親が自分を慈しんでくれたことは大事にしたいと思っています。

そういう意味で、「通名」に愛着を感じ、その名前をずっと使い続けていくことも、わたしはそれを選ばなかったけれど、人間として当然のことだし、なんら非難されるようなことではないでしょう。

もともと、立派な韓国人になりたい、という気持ちはあまりなかったような気がします。韓国に生まれ育った韓国人が「正当な韓国人」で、こっちはどうがんばっても二流かよ、というあほらしさは、当時から感じていたし。

これは、「二流の日本人」に関しても、同じように思っていましたし、いまも思っていますけど。

生まれつき、「正当な○○人」という存在から隔てられたものから見れば「正当」とか「ちゃんとした」という概念自体が、ものすごーくうさんくさいものなのです。もちろん、そういう、まさに教条的な民族主義を体現して、「在日は本名を名乗るべき」とか「韓国語もちゃんと勉強するべき」みたいな人はいっぱいいますけど、そういうのは好きじゃないのです。そうじゃなくてもいろいろタイヘンなのに、同胞同士で相手を抑圧してどうするんでしょうね。

わたしは本名をなのっているし、言葉もそれなりに勉強しましたが、それはりっぱな韓国人になるためではないし、そうしない人たちに圧迫感を与えるようなものの言い方はしないように気をつけているつもりです。うまくいっているかどうかわからないけど。

ひとつ言えそうなのは、、在日コリアンが「本名」を名乗るということが、ある種の(あまり現実に則していない)ロマンチシズムを伴って語られているのかもしれない、ということ。「民族名を名乗り、誇り(アイデンティティ)を取り戻す」みたいな、図式というか「物語」が、完全な虚構だとは言えないのでしょうが・・・スミマセン、やっぱりうまく言葉にできません。^^;

いままで使い続けていた名前をかえる、というのは、かなりエネルギーのいることなので、そういう「物語」がそのスプリングボードになることは、多々あるし、そういう意味では、おっしゃるとおり完全に虚構ではありませんよね。

わたしの場合、「本名」を使っている背後にあるのは、「民族」という大きな物語よりも、わたしの祖父母が日本で苦労してきた跡を残したい、という気持ちかもしれません。これも、もちろんひとつの物語にすぎないわけですが。

2008年7月5日
から greenfish
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いま聞くと冗談としか思えないが

子どもの頃を語るとき、「何も考えてなかった」「何も疑問を感じてなかった」っていうのは、実はすごく「恵まれて」いた(葛藤する必要がなかった、選択肢がたくさんあると思い込めた、守られていた、などなど)証拠なんだろうな。その結果、何も具体的な努力をしないまま、気がついたら負け組になっていたりするので、そこそこ報いは受けてるような気はするが。
kmizusawa の日記 (←現在公開されていません:17/09/23 yhlee)

kmizusawa さんが考えているように、就職差別などの存在によって、子供のころから将来のことを真剣に考えることが、長い目で見れば「勝ち組」「負け組」っていう言葉に代表されるような経済的な差に結びつくのかどうかは、正直よくわからない。マイノリティのハングリーさでのしあがった人もたくさんいるけど、マイナスの状況からはいあがれなかった人たちは、それ以上にたくさんいるだろうし。

でも、若いころは、日本人の同世代の友人たちは、在日のそれに比べて、なーんも考えてないよね、という感覚は正直あった。人間的に陰影というか、いろんな引き出しがあっておもしろい人は在日に多い、という感覚もあった。それはせいぜい20代のころの話で、40過ぎた今、さらに差別というものの存在がごく薄くなっている今、あまりそういうことは感じないが。

きのうもちょこっと書いたように、わたしの育った家庭だけではなく、子供を日本の学校にやっている在日の家庭での民族教育なんてまったくお寒いモノで、三世ともなると韓国語なんてできないほうが普通だ。

いまなら、韓国語を習うところもたくさんあるし、言葉がよくできれば実利的なメリットも期待できるが、当時はそんなものなーんにもない。北朝鮮は日本の知識人にはわりと評判よかったが、いかんせん国交がないし(それはいまでもだけど)、韓国なんて軍事独裁政権下の貧乏な国で、暗い、怖い、汚いの 3K だ。たいていの日本人からはただ無視される存在だった。そんな中で、日本の社会に適応して立身出世の道をたどってほしい親にとっては、民族意識なんてジャマなものだったかもしれない。

それでも、チェサ(法事)だけは熱心にやり、「帰化なんてとんでもない」「日本人と結婚するのは絶対ダメ」という方針が一般的だったのだから、勝手なものだが。

で、そうやって育った在日三世が、韓国なり朝鮮なりというものと向き合うきっかけっていうのは、やはり差別だったわけで。いま聞くと冗談としか思えないが、「(差別を契機とした)負の民族意識」も「民族意識」には違いないから、差別だって多少は必要なんじゃね? というような話が、民族団体の中で真剣に議論されたりしてたんだよね。

そういうたくさんの矛盾したメッセージを一身に浴びていたことは、人間的な成長の上では、そんなに悪くもなかったなぁ、という感じはする。

でも忘れてはいけないのは、逆境を肥やしにできる、いろんな意味で恵まれた人もいた反面、それができない人もいた、いうか、いるよね、ってこと。

艱難によってひとつの玉が生まれることより、途中で割れたりヒビがはいってしまうことをなくす、ってことを、やっぱり考えたいと思う。kmizusawa さんがそういうことを考えてない、という意味ではなく、現在進行形で在日の子供を育てているものとして。

とりあえず、日本で生まれ育った14歳の子供が指紋押捺するような状況はなくなった。でも、逆に特別永住者以外の外国人は、再入国のたびに指紋をとられるという新たな状況が生まれている。

結論はない、と書いたけど、のんびり思い出話なんてしてる場合じゃないでしょ、というのが、やっぱり結論か。やれやれ。

2008年7月4日
から greenfish
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14歳

日本人と結婚しても、ずっと本名で生活して、韓国語もしゃべれるようになるよ。
そうやって生きても後ろ指指されない日本社会になってるよ。
はてなハイク「14歳の自分に言っても信じてもらえなさそうなこと」

ま、正確に言うと、「韓国語も”多少”しゃべれるようになる」ですかね。
でも、14歳のときに知ってた韓国語は、自分の本名と「アンニョンハシムニカ」だけ。ハングルはまったく読めなかったんだから、こういってもそんなにおかしくはないかも。

両親も含めて、すべて日本名で生活していて、本名と言っても、単に知識としてそういうものがある、と了解しているだけで、その名前で呼ばれたことはまったくなかった。

1977年のことだ。

当時、外国人登録の切替は14歳以上だった。授業が終わってから市役所に行ったのでは間に合わん、ということで、親に一筆書いてもらい、掃除をせずに学校を出て、初めての切替にひとりで行った。初めての指紋押捺。市役所のカウンターではなく、奥の方に呼ばれて、黒いインクを右手人差し指につけ、回転方式で指紋をとる。

そのときはそういうもんだと思っていたので、屈辱的だともなんとも思わなかったが、市の職員が、明らかにひと目に触れないようにしている雰囲気は感じた。窓口で通名で呼ばれたほうが、ちょっと不思議だった。書類のどこにも日本名は書いてなかったのに。小さい町で、市役所のすぐ近くに父がやっていたパチンコ店があったから、職員のほうはどこの娘だか知っていたんだろうな。
中学3年になると、やはり進路のことを考えるようになる。高校進学は、別に問題ない。大学もたぶん行くだろう。でもその先は?

就職差別が当たり前のようにあった時代で、成績がいい子供は、当然のように医学部志望だった。ほかに、在日がつける、社会的ステイタスの高い職業はなかったのだ。マスコミも含めて、大企業はあり得ない、という雰囲気だった。
で、わたしもご多分に漏れず医学部に行こうと思っていたのだが、適性も自分の志望もへったくれもないそういう状況には、やはり鬱々とするものがあったんだと思う。

中3の「夏休みの一研究」に、「在日朝鮮人について」というタイトルで、レポートを書いた。内容的には本を数冊読んでまとめ、自分の身の回りで見受けられることを付け加えた程度のものだったんだけど、校内のコンクールで金賞をもらったのは、レポートの中身より、自分の出自を明らかにしたことへの評価だったような気がする。

そのころ読んだ本の1冊に、金賛汀氏の『祖国を知らない世代』という、在日2,3世についてのルポがあった。両親や親戚以外に在日の先達というものを知らなかったわたしは、金賛汀氏に胸のうちをつづった手紙を書いた。本を読んで、著者に手紙を書いたのは、そのときがもちろん初めてだったし、それから後もしたことがない。

本を書く人なんて、田舎の中学生には別世界の人だったので、ていねいな返事が届いたときには、驚いた。いまでも、ノンフィクションライターとして、良心的な仕事をされている人だが、それ以前に、人間としてのハートが感じられる手紙だった。その手紙は、ほかの手紙やノートなどといっしょに、長らく実家に眠っていたが、今年になって掘り出して持ってきたので、今は手元にある。

そして、在日の先達として、この年にわたしの前に現れたのが、弁護士の金敬得氏だ。彼が在日として、初めて司法修習生になったことを報じた新聞の切り抜きを、長いこと机の中に入れていた。将来の希望も医者から弁護士に変更。単純なんだよね。

自分にはまったくどうすることもできない状況としてそこにあった「差別」を、無名の青年がひっくり返すことができる、と、そのとき初めて知ったのだ。

それがわたしの14歳のころ。だから、冒頭の述懐につながるわけ。結論はとくにない。

2008年6月8日
から greenfish
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エレガントな解決法

「国籍法は違憲」婚外子10人に日本国籍 最高裁判決(朝日)

(2019/06/08追記:新聞記事へのリンクがあったのですが、すでにリンク切れなので、現在残っている下の記事をどうぞ。

婚姻要件の国籍法は違憲、婚外子訴訟で 最高裁 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News 2008/06/05)


ひさびさに胸がすくようなニュースである。原告の方々には、心からおめでとうと申し上げたい。

この子供たちが、帰化申請したら許可が出たかどうかはわからないが、かりに帰化による日本国籍取得が可能だったにしろ、「日本人にしてください」と法務大臣にお願いして、日本国籍をもらうのではなく、権利として、当然に日本国籍を持っているのだ、と認めさせた意義は大きい。

日本に生まれ育ち、日本社会の一員として暮らしていくときに、日本国籍というのは、大きな権利なのである。この子供たちにしろ、母の国の国籍があるからいいじゃないか、というわけにはいかず、居住国の国籍が認められないことが、重大な権利の侵害であるから、このような判決となったわけだ。

判決の意義については、原告の弁護士のブログ(リンク切れ)に、わかりやすくまとまっているので、これを読んでもらった方がいいだろう。

判決そのものは、日本国籍の取得が、基本的人権の保障のために重要であること、現行法の差別的取扱いによって子のこうむる不利益がいちじるしいこと、同じく日本人と親子関係を生じた子であるにもかかわらず非嫡出子についてのみ、父母の婚姻という「子にはどうすることもできない」事情で日本国籍の取得を認めないことは不当であることを正面から認めたものであって、素直によかったと思います。

国籍は参政権と結びついており、参政権とは、自分の属する社会に主体的にコミットするための権利だ。もちろん、基本的人権のひとつでもある。

定住外国人の地方参政権獲得運動に対して、参政権は国籍のある国に求めるべきだ、という意見があるが、かりにわたしたちが韓国で参政権を得たとしても、言葉もわからないし、たまーに旅行で行くか行かないか、祖父母の出身地であるという以外はとくに結びつきのない国なのである。上に書いたような参政権の性質から考えると、基本的人権としての意味はない。

この子供たちの母親は、勝手に日本に来て、日本人男性との間に、結婚をせずに子供をもうけた。不法滞在で強制送還されそうになった人もいる。だがそれは、子供にとっては、なんの責任もないことである。

だいたい人間は勝手に移動するものであるし、そもそも日本国民であったわたしの祖父母が朝鮮から日本に移住してきたことについて、わたしの親やわたしには、なんの責任もない。日本の植民地支配が終わったら、当事者にはなんの断りもなく、意思をたずねられることもなく日本国籍を失い、外国人として日本に住み続けているだけだ。

旧植民地出身者の日本国籍の喪失は、日本の戦後処理の重大な瑕疵だったと思うけど、わたしたち在日自身も、基本的人権の保障のために、権利としての日本国籍をよこせ、という方向には行かなかった。

あるものは大金と莫大な手間をかけて法務大臣にお願いして日本国籍を取得し、ってまだるこしく言っているが、要するに帰化したわけだ。これが、毎年約1万人。

また、8割方が日本人と結婚することにより、生まれた子供は日本国籍となり、次の世代からは国籍問題は解決、である。日本国籍の子供を持った在日の親は、まず帰化しているので、上と重なるが。

そして、少数の意地っ張りたちが、日本国籍を持たないまま、限定的な権利、つまり地方参政権をよこせと訴えている。

国籍法を改正することもなく、60万いた在日がこうして消えていこうとしているわけだ。なんとエレガントな解決方法だろう。

しかし、自国内に住んでいた旧植民地出身者の人権は一顧だにせず、国籍をとりあげてからおもむろにいくつも国籍条項を作って、日本社会から排除し、彼らが自主的に日本に同化するのにまかせた、というのは、戦後日本の大きな汚点だと思うけどね。

アイヌが先住民であることも認められたことだし、われわれ元日本人、つまり旧植民地出身者とその子孫も、権利としての日本国籍を認めよ、民族的アイデンティティを保持するための民族教育を保証せよ、という方向に行ったほうが建設的だし、戦後処理のまずさを埋められるんだから、日本人から見ても、決して悪い話じゃないと思うけど。

まあ、保持すべき民族的アイデンティティなんて、せいぜい家庭料理が韓国風だという程度なんだから、遅きに失したかもしれないね。

2007年7月17日
から greenfish
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身の丈


ネトウヨくんたちの大好きな言説に、朝鮮時代のソウルはひどくみすぼらしく、民衆はぼろを着て、家々はいまにもつぶれそうな掘っ立て小屋、それを日本が支配するとあ~ら不思議、街は立派になり、人口は増え、人々は豊かになりましたとさ、というのがある。朝鮮人は未開で野蛮で無能力だったのである。過去形じゃなくて、現在の朝鮮や韓国だって、ひどいニュースばっかりだ。いまでも朝鮮人は野蛮で無能力な人種なのである。俺たち日本人様とは、雲泥の差だ。

しかし、それが、在日に対する言説になると、なぜかトーンが変わってくる。

在日はひそかに日本を支配している。パチンコは何兆円だかの産業だし、マスコミも宗教界も政治も経済も、実は在日の影響力抜きには語れない。

在日ならば、自動的に生活保護で月17万円もらえるし、水道代も払わなくていいし、住民税も非課税。毎日遊んで暮らせるのである。在日とは現代の貴族なのだ。うんぬんかんぬん。

しかし、これって、なにか不思議な話である。このふたつの言説をつなげると、日本人は野蛮で無能力な朝鮮人に、しかも、その中でも、職を求めて日本に渡ってきた無一文の朝鮮人に、支配されちゃったということになる。世界中のどこでも、旧宗主国にいる植民地出身者が、実はその国の影の支配者でした、なんて話は聞いたことがない。

いやー、在日の能力というのは、すばらしいねぇ。こんなことができるのなら、世界征服の日も近いことだろう。

もちろん、ひとりの人がこのふたつの説を唱えているとは限らないが、ネトウヨくん同士で、「日本を影で支配している朝鮮人が、100年前だからって、そんなに無能力なわけがない!」「朝鮮人なんて日本人よりはるかに劣る連中が、在日特権なんて持っているわけがない!」という内輪もめは、起こっていないようである。

それにしても、行政を意のままにあやつる能力があるのに、それを利用して得るものが、たったの月17万だとか、水道料金だとか、妙に話が小さいのも笑える。莫大な富を築き上げた在日の起業家も何人も数えられるが、彼らがいかに在日の持つ影の権力を生かして財産を作ったか、っていう話は聞かない。そういう話を作るのは、彼らの手にはあまるらしい。月17万で暮らしたり、公共料金が免除されたり、という「特権」なら実感としてわかるらしいが。このあたりが、彼らの身の丈ということかな。