1990年台のネット事情と、現在の最大の違いは、参入するコストだろう。
わたしがパソコン通信をはじめたのは、たぶん1994、5年ごろだと思うが、当時は、パソコン自体が30万円以上したし、そこにモデムをつないで、Nifty Serve なり、PC-VAN なりのサーバーにつなぐのも、いろいろ設定が必要だった。
当時のわたしに特別な知識があったわけではなく、説明書を見ながらその通りにしたら、ふつうにできたのだが、「説明書を見ながら、何段階かにわたる設定をする」ということ自体、できない、もしくはやりたくない人というのは、いまも昔も変わらずいるだろう。やってみもしないで「自分にはムリ」と考える人たち。そういう人は、参入してこなかった。まあ、ときどき「夫(彼氏)が全部やってくれて、わたしはぜんぜんわからないわ」って女性もいたが。
通信料自体も、定額サービスは、夜中の「テレホーダイ」だけで、あとは従量課金だったから、通信費として、電話代を毎月数万円使う人も珍しくなかった。ちなみに、当時は通話するための電話回線と通信するための回線は共用なのがふつうで、パソコン通信につないでる間は、電話は話し中になってしまった。
というわけで、当時多かったのは、IT関連の仕事をしてる人、あとは大学の先生とか。どちらも、ふつうだったらわたしとは接点のない人たちだが、いまでもわたしの交友関係にこういう仕事の人が多いのは、このころのなごりである。
基本的に、新しいことが好きで、自分が好きな人が多かったように思う。もちろん、わたしもそのひとり。
97年か8年ごろから、「ホームページ」を自分で開設する人が増え始め、わたしが自分のサイトを持ったのが99年。そして「日記猿人」や「Read Me!」に登録して、せっせと「ウェブ日記」を書き綴っていた。
最初は html の知識など皆無で、MSの FrontPage というソフトを使っていたが、ゴミだらけのとんでもなく重いページを作ってしまい、「重くて読めない」と言われて少しずつ直すために覚えていった感じだ。
どっちにしても、「ホームページ」を作って公開するというのは、いま考えると笑っちゃうくらいめんどくさいものだった。
バトルもあったし、2ちゃんねるに書き立てられたのも一度や二度ではないが、「自分の好きなことを書く」というほど自由だったことって、あったっけ?
これは、いろいろな行きがかりから、パソコン通信のころから、わたしが本名で素性を明かしてネットにものを書いていたことが、大きく関わっているだろうけど。家族や友人知人が読む可能性がある、ということは、常に頭にあった。
そして、素性を明かす、ということは、在日朝鮮人だということも明らかにしていたわけで、当時はそういう人はごく一部だったから、「在日代表」のように見られることも多かった。当然、言動にはある程度慎重になるというものである。
「ヘイトスピーチ」という言葉はなかったが、マイノリティに対する誹謗中傷は99年ごろからかなりえげつないものだったから、たびたびその標的にもなっている。
わたしの存在自体が「一般論」に回収できないものだったから、先日リンクした最近、ブログが不自由になってきたと思いませんか? – orangestarの雑記 の人とは意見が違うのかなぁとも思う。
パソコン通信のころから、穏当でないことを書くと、注意してくれたり批判されたりというのはふつうにあって、炎上のような状態というのも珍しくなかった。それでへこんでやめてしまう人もいたけど、そのようすがいまとそんなに違うとは思わない。
当時の書き手は、新しいものに対する好奇心や実行力がある人たちが多かったことと、それだけのコストを払ってやっていたわけだから、それなりの覚悟もあったのかもしれない。
ちょっと批判されるとすぐにやめちゃう人が多い(わたしの観測範囲ではあまり見たことないので、多いかどうか自体よくわからないが)、参入があまりに簡単なのでやめるのも簡単、というそれだけのことかもしれないし、それは先ほどリンクした人に対して、異論があるわけでもない。
なんでこんなことをだらだら書いているかというと、ネット関連のことに、いままでずいぶんお金と時間を使ってきたなぁという感慨があるからだ。
別に後悔してないけどね。