リモートで研修をし、アンケートを見ると、必ず「次はリモートではなく直接指導してほしい」という類のコメントがある。
正面のスクリーンにわたしの顔がでかでかと(もしくは、投影資料の横に小さめに)写っており、お互いに話もできる。質問も受けているし、休憩時間に雑談もしたりしている。研修の内容を伝えるのに、不便な点はない。
生身の体があるとないとで、なにが違うのか、正直不思議だ。
恋人や家族だったら、直接体に触れたいという気持ちは当然だけど、初対面だし、研修の講師と参加者だよ? そもそも触ることはありえないし、触る以外に生身の体が必要なことってなんだろう。
慣れているか慣れていないか、というのが、わたしと「直接指導してほしい」という人の間に横たわっている深い川の正体なのか。
それともうひとつ、わたしがコンテンツにしか興味がない、というのもあるかもしれない。
若い頃は、本を買うとカバーも帯も箱もすぐゴミ箱行きだった。「本」という物体は重くて邪魔で、中身の文字列さえあればよかった。だから、電子書籍が出たときは、これでやっとわたしのほしい「本」が手に入る、と思ってとてもうれしかった。
さすがにいまでは、装幀の大切さとか必要性も理解しているので、ガワは全部捨てるなどという乱暴なことはしないが、それはあくまで「他の人にとっては」で、わたしにとってはなくても全然困らないものだ。
研修においても、講師の話と、資料、双方向のコミュニケーションというコンテンツが保証されているのに、これ以上なにが必要なの? と思ってしまう。
このあたりは、なかなか理解されない感覚かもねぇ。