先日読んだ本が、有川浩の『レインツリーの国』で、読み始めるまで知らなかったのだが、これは感音性難聴のヒロインが出てくる話である。
この女性は補聴器をつけていて、障害といっていいレベルなので、ふつうに日常生活を送れているわたしとは、同じ病気といっても困難さがぜんぜん違うが、耳の病気の影響がわからない人への説明の仕方とか、対応の仕方がいろいろ出てきて興味深かった。
もう何年前か忘れてしまったが、わたしの場合は低音障害型感音性難聴という病気で、かなり耳鼻科に通っていったんは完治したのだが、その後何度か再発し、現在も体調によっては聞こえづらいときがある。
とはいっても、「聞こえづらい」という言葉を使ってしまうと、この病気の影響とはかなりずれてしまうような気がする。
もっと具体的に言うと、まず、聞こえづらいというよりも、言葉が聞き取れない。音としては十分聞こえているのだが、なにを言っているのか判別できない。
なので、小さい声よりも、もごもごした話し方のほうが問題である。「低音障害型」という言葉でわかるように、女性や子供の声はそんなに問題を感じないのだが、男性の低い声は苦手だ。それと、これはたいへん申し訳ない話なのだが、聞き慣れない方言で話されると、何度も聞き返すはめになる。
家の中や、仕事中に、そこそこ静かな場所で、1対1、または数名の方と話しているときには、とくに問題はない。
問題がある場面は、宴会やパーティー、あと、研修でグループワークをやっているときである。背景のざわざわがやがやをうまくオミットできず、目の前の人の言葉がとても聞き取りづらい。多人数の飲み会などは、ほんとに苦手になってしまった。研修でも、グループワークがあると、ぐったり疲れてしまう。
難聴もいろいろなタイプがあるので、だれにでも通じるわけではないが、わたしの場合は、配慮してもらえるとしたら、次のようにしてもらえるとありがたい。
まず、口の中でもごもごではなく、はっきり発音してほしい。そして、顔を見て話してほしい。表情や口の動きで、わかりづらい部分を補っているからである。
そして、もし聞き返されたら、大きい声をだすのではなく、同じ声量でいいので、ゆっくりはっきり発音してほしい。
わたしのように難聴が軽いレベルの場合は、これでだいたい解決できる。
また、対人関係には影響ないが、もうひとつ困ったことがある。それは、スピーカーを通した大きな音が苦手になってしまったことである。
これは聞き取りづらいのではなく、ふつうの人がとくに苦痛を感じない音量でも、音が大きすぎると感じて苦痛になる。
映画が好きなのだが、劇場で見るときは耳栓は必須だ。耳栓といっても、完全に聞こえなくなるわけではなく、音の大きさをやわらげるタイプのものである。これはいつも持ち歩いていて、BGMの音量が大きすぎるお店や、駅などで案内のアナウンスの音が大きすぎると感じるときに活躍している。
前回のソン・シギョンのライブで、ずいぶん後ろのほうでスピーカーから遠い席だったにも関わらず、耳栓がないとつらいことに気づき、ほんとに悲しかった。自分の大好きなアーティストのライブで耳栓! がっかりである。3月の日本公演も行きたいのはやまやまだが、こういう事情なので、ちょっと迷っている。いや、行くけどね、たぶん。