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個人的なあれこれ。

バッシングの構造

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 「農業やりたくない」 就職拒否のミャンマー難民夫婦が会見 – MSN産経ニュース(現在はリンク切れ)
 

「(農作業は)大変だった。農業はやりたくない」/農作業が早朝から長時間におよび、暑いビニールハウス内で作業する大変さを説明。長男(16)が通っていた夜間中学が遠く、帰りが遅くなることから通学を断念したとも明らかにした。


上にリンクしたニュースを読んで、たいていの人が感じることは「農作業なんて大変に決まってるじゃないか。日本に来ればぜいたくできると思って、甘い考えで来たんだろう。おれだって、毎日朝から遅くまで働いていて、子供も遠くの塾まで通って遅くまで勉強してるんだ。甘ったれるんじゃない」というあたりだろうか。

というか、明らかに上のような反応を狙って書いた記事だと思う。発表された内容のうち、この難民の家族に悪意を持って上手に切り取ると、上のような記事ができあがる。そういう意味ではよくできている。決してマネしたくはないが。

さて、同じ難民家族の記者会見について、もうひとつ別の記事がある。

 ミャンマー難民:「事前説明と異なる長時間労働」改善訴え – 毎日jp(毎日新聞)(現在はリンク切れ)
 

「事前説明と異なる長時間労働を強いられ、支援者との接触も制限された」/「朝早くから夜遅くまで仕事で家族との時間も取れない。子どもを病院に行かせる時間もない」「戦争がなく自由な生活ができると思って日本に来たのに、とても残念」


これは多少印象が違うのではないかと思う。長時間労働が事前の説明と違っていたこと、支援者との接触も制限されたこと、は、上の産経の記事には触れられていない点だ。

日本での難民の処遇に少しでも関心のある人なら、最初の記事を読んだ時点でも、具体的に書いてない生活の状況が、ありえないくらいひどいんじゃないか、端的に言えば奴隷といっていいような状況なのではないか、というのは、容易に想像がつく。

この家族の具体的な生活のようすを、状況を知っている人から聞く機会があったのだが、想像を裏切らないひどいものだった。まさに日本の恥。

さらにもうひとつ、これはマスコミの記事ではなく、ブログなのだが、別の視点から、どうしてこれが日本の恥なのか、きちんと論証したよい記事があった。

 ミャンマー人は何故農業をしたくないのか – mizuiro_ahiruの日記
 

この難民受け入れ事業を行っているのは、「財団法人アジア福祉教育財団・難民事業本部」というところです。外務省官僚がゾロゾロ天下りしているハズです。/総予算が年間8億3000万円で、その内大半の7億7000万円が外務省から出ています。/合計8億3000万円の予算、4億1000万円もの経費を使って、実績はと言えば、5年でたった159人。年平均30人程度受け入れているだけです。難民一人に予算2700万円かかってます。医者でも養成してるのか?。


開いた口がふさがらない。

しかし、ここまで読んでも、おそらくわたしが最初に想像で作った「感想」はとくにかわらない、という人もいるのではないかと思う。

たとえ奴隷のような状態だって、祖国にいるよりましなんだから、我慢すべきだ。言葉もわからない外国で、まともな仕事があるわけないだろう。日本人だって就職に苦労してるのに。受け入れ団体がどれだけひどくても、それは難民が甘ったれていることとは別の話だ。

と、また想像で書き連ねているが、いくらでも出てきそうだ。少し前の話だが、派遣村に集まった非正規労働者にどんな言葉が投げつけられたか思い出せば、想像するのは簡単だ。

理不尽な状況にいる人たちが、その理不尽さを訴えると、「努力が足りない」「自己責任」「甘ったれるな」というバッシングが待っている。バッシングしている人たちは、自分たちのつらい状況への怒りを、自分たちができないことをしているように見える人たちにぶつけているのである。

長時間労働でへとへとになって、それでも食べるだけで精一杯。そんな生活はだれだっていやなはずだ。異議申し立てをする人たちを叩けば、とりあえず、多少の鬱憤ははれるのかもしれない。だが、そんなバッシングがいつものことになれば、だれも文句を言えなくなり、改善への望みは絶たれてしまう。

理屈で考えてそれがわからないわけもないと思うのだが、こういうニュースを見た途端に噴出する感情に圧倒されているんだろうなぁ。

虐げられた者どうしが足を引っ張り合っていて、喜ぶのは誰なのか。難民の甘えに対して使われる想像力を、なんとかそちらの方向に向けてもらえないだろうか。

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