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個人的なあれこれ。

チョゴリと旭日旗

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11月2日の 東京大行進に参加した。

わたしは、この運動にはいままでまったく関わっておらず、当日の朝、急に思いついての行動だった。

友人が多く関わっているし、関西から来る人、しばらく会っていない人、ネットでのやりとりはあるが、まだ直接顔を合わせたことのない人に会いたい、というのが主な理由である。

もちろん、反差別という理念は共有しているが、わたしはわたしのやり方で行動しているし、2時間以上かかるところまでわざわざ行って、デモ行進に参加するというやり方は、わたしの中で優先順位が低かった。

とはいうものの、せっかく参加するのであるから、韓国で買った改良韓服(韓国で現代風にアレンジされた韓国朝鮮の民族衣装。生活韓服ともいう)を、家から着ていった。

チョゴリを着るときの緊張感、注目されるから、ということではなく、ありていにいって、絡まれるのではないかという緊張も多少感じたが、韓服について知識のない日本人が見た場合「なにか変わった服」としか見えないであろうデザインだったので、あまり注目をあびることはなかった。

電車の中や駅などでこちらを注視しているのは、たいてい女性で、「なにか変わった服」への注目にすぎないと思えた。そりゃそうだろう。わたしだって、公共の場で民族衣装らしき見慣れない服装の人を見たら、なるべく失礼にならない範囲で、観察すると思う。

会いたい人にもたくさん会えたし、デモ行進自体もなかなか楽しかったが、やはりどうしてもひとつ気になることがあり、繰り返しそのときの状況を考えている。

デモが終わりに近づいたあたりで、沿道に大きな旗を持って立っている人が目に入ってきた。

旭日旗である。しかも、ごていねいに、持っている人は軍服コスプレをして、ヘルメットをかぶり、サングラスとマスクで顔を隠している。

ぎょっとして、よく見ると、旭日旗はレインボーカラーで、おそらく、本来の意図を読み替える、というつもりだと思えた。

しかも、ヘルメットには「男組」の文字。ここまで見て、はじめて、レイシストがカウンターをかけてきたのではなく、この行進の参加者のひとりであることがわかった。

それがわかるまで、せいぜい2,3秒のことだったと思うが、体ががちがちに緊張し、息が苦しくなったのはよく覚えている。

なんらかの理由づけはあるんだろうけど、よりによって、在日がたくさん来ているのがわかっているこの場に、たとえレインボーカラーだろうが旭日旗を持ち込むなんて、無神経というか、悪趣味というか、かんべんしてほしい、と思った。

一瞬のことだったので、そのあとは忘れていたのだが、翌日ツイッターを見たら、主催者や賛同者として名を連ねている人たちが、このレインボー旭日旗とその持ち主とともに写真におさまっているということで、批判されていた。

議論についてはちゃんと追ってないので、どういう話になっているのかは、よくわからない。

一夜たって、写真を見た段階では、それほどの衝撃はない。たんに実物とディスプレイ越しの画像という違いなのかもしれないが、どうも、それを見たときに自分がチョゴリを着ていたかどうかの違いが大きいのではないかという気がしてならない。

ふつうの服装でいきなりレインボー旭日旗を見る、という体験はいままでないので、比較することはできないし「気がする」という以上のものはないだが。

チョゴリという「民族の表象」。

自分が朝鮮人であることを強く意識し、しかも、周りはすべて反差別という目的を同じくする仲間であるという安心感を感じているときに見た旭日旗。強い恐怖と不快感の源泉がそこであるように感じられる。

あの旗ひとつをもって、東京大行進自体を否定するつもりはないが、あの旗をまた実際に見ることはいやだなぁという強い気持ちはある。

たくさんの人が、多大な労力をかけて作った運動であることはよくわかるし、当日ほいっと参加した者が、次に行く気になるかどうかがそれほどたいした問題であるとも思わないが、あのときの感覚を言語化しておく必要を感じた。自分の側の問題なので、組織批判とかとられるのは本意ではない。もちろん、この文章に対して批判が出ること自体は、すべてのネットに発表された文章と同じく、ありうることだとは思っている。

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