Green Fish

個人的なあれこれ。

とばっちり

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わたしは「支那そば」と看板を出したラーメン屋には入らない。「中華そば」でも「ラーメン」でもなく、わざわざ「支那そば」と銘打って、むかしながらの味だということでもアピールしたいのかもしれないが、街中にでかでかと差別語を掲げて、恬として恥じない神経にはぞっとする。

「支那」が差別語だということに関して、異論があることはもちろん知っている。一言で言えば、同じ「秦」由来の言葉であるのに、China などヨーロッパ系の言葉はよくて「支那」はなんでだめなんだ、ということだろう。

言葉にはさまざまな背景や意味合いがあって、語源というのは、そのひとつにすぎない。明らかな誤用であっても、それを多くの人が使うようになり定着してしまえば、それもまたアリなのである。「ら抜き」言葉を例に取るまでもあるまい。語源に問題がなければ、その言葉にも問題がないかのように言う人を見ると、知識をひけらかすわりには、そこから今にいたるまでにその言葉がたどってきた歴史を無視するという、ご都合主義を感じる。

「チョン」とか「北鮮」という言葉からわたしが感じる不快感から推し量れば、「支那」という言葉も決して軽々と使っていいとは思わない。「三国人」じゃないけど、この話をするのに、この言葉をさんざん連呼しなくちゃならないのは、皮肉な話だが。

さて、「チョン」といえばよく出てくるのが「バカチョンカメラ」である。「バカチョン」の「チョン」が朝鮮人の蔑称というのは俗説というか誤解で、本来は「バカ」と同じ意味合いの古い言葉だというのが正解のようだ。

だが、それを知っていても、わたしは自分では決してこの言葉を使わない。もともとのこの言葉からすれば、とんだとばっちりだが、同じマイナスの意味を持った別の「チョン」をやはり連想するからだ。

なんとなくヤな感じがするのはこちらの勝手なので、「支那」がNGなのとは訳が違うが、できれば、早く消えてなくなってくれればいいと思っている。使う人がいなくなって死語になる古い言葉がたくさんあるのに、「バカでもチョンでも」という言い回しだけをそう後生大事に守らなければいけないこともないだろう。

いちいち注釈をつけたり言い訳をしたりしてまで、この言葉を使いたい人たちを非難するつもりはない。わざわざご苦労さん、と思うだけである。

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