子どもの頃を語るとき、「何も考えてなかった」「何も疑問を感じてなかった」っていうのは、実はすごく「恵まれて」いた(葛藤する必要がなかった、選択肢がたくさんあると思い込めた、守られていた、などなど)証拠なんだろうな。その結果、何も具体的な努力をしないまま、気がついたら負け組になっていたりするので、そこそこ報いは受けてるような気はするが。
kmizusawa の日記 (←現在公開されていません:17/09/23 yhlee)
kmizusawa さんが考えているように、就職差別などの存在によって、子供のころから将来のことを真剣に考えることが、長い目で見れば「勝ち組」「負け組」っていう言葉に代表されるような経済的な差に結びつくのかどうかは、正直よくわからない。マイノリティのハングリーさでのしあがった人もたくさんいるけど、マイナスの状況からはいあがれなかった人たちは、それ以上にたくさんいるだろうし。
でも、若いころは、日本人の同世代の友人たちは、在日のそれに比べて、なーんも考えてないよね、という感覚は正直あった。人間的に陰影というか、いろんな引き出しがあっておもしろい人は在日に多い、という感覚もあった。それはせいぜい20代のころの話で、40過ぎた今、さらに差別というものの存在がごく薄くなっている今、あまりそういうことは感じないが。
きのうもちょこっと書いたように、わたしの育った家庭だけではなく、子供を日本の学校にやっている在日の家庭での民族教育なんてまったくお寒いモノで、三世ともなると韓国語なんてできないほうが普通だ。
いまなら、韓国語を習うところもたくさんあるし、言葉がよくできれば実利的なメリットも期待できるが、当時はそんなものなーんにもない。北朝鮮は日本の知識人にはわりと評判よかったが、いかんせん国交がないし(それはいまでもだけど)、韓国なんて軍事独裁政権下の貧乏な国で、暗い、怖い、汚いの 3K だ。たいていの日本人からはただ無視される存在だった。そんな中で、日本の社会に適応して立身出世の道をたどってほしい親にとっては、民族意識なんてジャマなものだったかもしれない。
それでも、チェサ(法事)だけは熱心にやり、「帰化なんてとんでもない」「日本人と結婚するのは絶対ダメ」という方針が一般的だったのだから、勝手なものだが。
で、そうやって育った在日三世が、韓国なり朝鮮なりというものと向き合うきっかけっていうのは、やはり差別だったわけで。いま聞くと冗談としか思えないが、「(差別を契機とした)負の民族意識」も「民族意識」には違いないから、差別だって多少は必要なんじゃね? というような話が、民族団体の中で真剣に議論されたりしてたんだよね。
そういうたくさんの矛盾したメッセージを一身に浴びていたことは、人間的な成長の上では、そんなに悪くもなかったなぁ、という感じはする。
でも忘れてはいけないのは、逆境を肥やしにできる、いろんな意味で恵まれた人もいた反面、それができない人もいた、いうか、いるよね、ってこと。
艱難によってひとつの玉が生まれることより、途中で割れたりヒビがはいってしまうことをなくす、ってことを、やっぱり考えたいと思う。kmizusawa さんがそういうことを考えてない、という意味ではなく、現在進行形で在日の子供を育てているものとして。
とりあえず、日本で生まれ育った14歳の子供が指紋押捺するような状況はなくなった。でも、逆に特別永住者以外の外国人は、再入国のたびに指紋をとられるという新たな状況が生まれている。
結論はない、と書いたけど、のんびり思い出話なんてしてる場合じゃないでしょ、というのが、やっぱり結論か。やれやれ。