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個人的なあれこれ。

民族教育

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民族教育は、それだけで在日の問題がすべて解決するというようなものでは ないが、いわれのない劣等感などを持たずにすむ、という点では かなり力があるものだと思う。
わたしの場合は、ずっと日本の学校で、民族教育は受けていない。
日本の学校にいる子どもたちは、自分が在日であるということに 対決しなければならない場面が多い。本などを読んでいろいろ考えても、なにせ子どものことで視野が狭いので すぐに堂堂巡りに陥ってしまうし、 身近に在日として生きているモデルがない、というのは、 やはり、自分を確立する上で、相当厳しい状況だろう。
在日の場合はとくに、自分自身がどのような存在なのかを知るために、歴史を学ぶのは 不可欠なことだと思うし、在日の歴史とつながっているという意味で、 本国の歴史も概略は知識があるのに越したことはない。
また、言語も、本国の人々と交流するためというより、在日社会の一体感を 保つための強力なツールになりうるものではないだろうか。 残念ながら、子どもに言葉の教育を与えなかった親が多いので、すでに いまさら、「在日同士のためのウリマル(韓国語)」を唱えても、絵にかいたもちに なってしまうだろうけど。
在日同士だとウリマルで話しましょう、というのではなくて、お互いに ウリマルができる、というのは紐帯になると思うのだが、やはり その程度じゃ、言葉を習得する動機としては弱いかなぁ。 やはりこれは、結果であって、目的じゃないかもしれない。
在日の紐帯としては、儒教的価値観なんてものもあるが、これは 個人が個人として生きていくためには邪魔になることのほうが多いし、 とくに女性にとっては、「そんなもん、やってられるか」だね、 正直言って。(^^;

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