講演の終わりには、たいてい質疑応答の時間があります。
司会者が「ご質問ある方、どうぞ」と声をかけても、シーンとしてしまい、参加者の方はみな下を向いて資料を見ていて、目が合わないようにしている・・・
こういうとき講師はなにを考えるかというと、
「質問がないくらい、すべて理解してくれたのね!」
とか
「質問ないほうが早く終われるからうれしいな」
ではなく、
「おもしろくなかったのかな。それとも、わかりにくかったのかな」
ということです。
質問はあるんだけど、こんなこと聞いていいのかな、と気後れしていて手を挙げられない、という場合もありますが、それは進行上の工夫で防ぐことができます。
そうではなくて、1時間や90分話を聞いたあとに質問がぜんぜんないということは、興味を持って聞いていなかった、または、なにを質問していいかわからないくらい理解できなかった、ということです。
おおげさなようですが、少なくとも、講師はそのように受け取って、反省します。
逆から言うと、質問するということは
・相手の話に興味を持って聞いている。
・相手の話を聞いて、自分も別の視点から考えた。
という証拠なのです。
ですから、日常の会話の中でも、質問するということは、
・話している事柄が明確になる。
・お互いの関係がよくなる。
・新しい視点が生まれる。
という効果があります。
そして、質問の最大の効果は、
「質問されると、頭が回り出す」
ということです。
教える側が答を知っていても、単にそれを教えるのではなく、質問の形で相手に考えさせる、という方法をとるのも、そのためです。
指導する側は、質問の技術を磨くことで、大きな効果を得ることができますが、一方で、質問は「詰問」や「尋問」になってしまう危険もあります。
「責めている」と受け取られてしまうんですね。
とくに、ふだん、質問の形で叱責することが多い人は要注意です。
「どうしてちゃんとやらないんですか?」
「あなたって、なんでいつもこうなの?」
「いったい何回同じことを言ったらわかるんだ?」
こういう言葉は、形は質問ですが、相手に答えを求めていません。
とくに最後の質問などは
「えーと、3回くらい言ってもらえればわかります」
などと答えてしまうと、
「バカにしてるのか!」
と、火に油を注ぐことになってしまいますね。
「叱責するための質問」をいつも口にしていると、ふつうに質問しているときでも、相手は
「この人に質問されたら、それは責められているということだ」
と、受け取りやすくなります。
責められていると思うと、たいていの人は固まってしまいます。つまり、頭がうまく働かなくなり、「相手の頭を回転させる」という質問の効果がだいなしですね。
また、当然ながら、相手にもよい感情が持てなくなります。これも、「お互いの関係がよくなる」という効果を打ち消してしまいますね。
質問のテクニックはいろいろありますが、「答のない質問を多用しない」というのも、実はその背景として重要です。