公開直後に東日本大震災が起こり、津波のシーンがあることから、日本では公開が中止されてしまったという不幸ないきさつを持つ映画。

わたし自身は格別津波にトラウマはないのだが、イーストウッド作品だというのに、なんとなく見そびれていたというのは、やはり上記のような事情が影響していたのかもしれない。

実際見てみると、津波は別にテーマでもなんでもなく、溺れて死にそうになり蘇生する、というシーンを描くためなら、別に津波じゃなくてもよかったんじゃないの? という気がする。
もちろん、撮影当時は日本で大地震と津波が起こり、多くの命が失われるなんてわかるわけもないので、単なる後知恵なんだが。
単に水に落ちて溺れる、にしなかったのは、自然の抗いがたい猛威と、それを前にしたちっぽけな人間を描く、という意図があったのかな、という推察はつくけど。
そして、自分だけが溺れるんじゃなくて、たまたまいっしょにいた少女や、手に持っていたおみやげが失われた、という感覚も、この話には必要だったのかも。

1)画像出典:【ワーナー公式】映画(ブルーレイ,DVD & 4K UHD/デジタル配信)|ヒア アフター

水に押し流され、必死にもがき、なにかが頭にごつんと当たって意識が失われる。
その描き方は生々しいような気もするが、どこかファンタジックなのは、水が澄んでいるから。
実際には、津波で押し寄せてくる水は、陸に上がった途端に茶色い濁流となる。
だから、リアリティを狙った描写ではないのは明らかだ。

津波でなくてもいいのだが、やはりここは水でなくてはならない。
水に入り、そこから出てくる、というのは、死と再生の暗喩である、とは、言い古されたことだが、この映画でも踏襲されている。
『崖の上のポニョ』の海のシーンも死の気配がたちこめていたし、臨死体験を扱った小説『航路』でも、死後の世界は水のイメージで描かれる。
宗教で言えば、キリスト教の洗礼とか。
だから、現実的な濁った水ではなく、透明で澄んだ水なのだろう。

双子の少年は、ジャンキーの母親との母子家庭で、この母親がいままでいろいろしでかしたらしく、福祉局がこれ以上なにかあったら親子を引き離す気まんまんで監視している。
というと、役所の担当者が無慈悲なようだが、そういうわけではなく、子供、母、どちらのことも考え、誠実に仕事をしていることが見て取れる。
でも、子供たちはどんなろくでなしの母親でも、自分のお母さんがいいんだよね。
自分の家から離れたくないし。
それも当然だよね、と思えるように、親子、そして双子同士の結びつきが暖かく描かれる。

なによりほっとするのは、双子の片割れが失われて、母は自力では子供との生活を支えきれず(たぶん薬物の矯正施設に行ったのだろう)、里親のもとに行くことになったシーン。
里親夫婦の夫と、福祉局の担当者がふたりでマットレスを少年の部屋に運び込む。
寝るのはひとりなのだが、生まれてこの方ずっとそうだったように、兄弟のベッドが隣にある状態で眠りにつくのである。
もうひとつのベッドは当然からっぽだが、おとなたちの少年の心情への配慮がうかがわれるいいシーンだ。

さて、で、この物語の3人の主人公のハブの役を果たすマット・デイモンだが。
この人がやると、なんの役でもめっちゃ誠実に見える。
ちゃんとした生活の背景があるという厚み。
体がずんぐりむっくりしてるということではなくて。いや、それもあるかもしれないが、その厚みがこの映画でも余すことなく発揮される。
霊能者という、一歩間違えばいかがわしい職業を、職業として扱いきれないまじめすぎる男。

いかがわしい霊能者といえば、少年がなんとか亡くなった双子の兄弟とコンタクトをとりたくて、霊能者ショッピングをする場面。
インチキばかりでがっかりするのだが、バックに流れるピアノがどこかユーモラスないい味を出している。
見終わってから知ったのだが、音楽もイーストウッドなのね。
そのセンスがすばらしい。

そして、いままでの人間関係がごっそり破壊されるような一言がいくつか描かれるが、その見せ方がいい。

ニュースキャスターだったマリー(セシル・ドゥ・フランス)が、恋人のプロデューサーに復帰は難しいと言われ、自分が休んでいる間代役をしていた美しいアジア系の女性との間を疑って言う。
「彼女と寝たの?」
男は答えず、「寝たのね」と確信する。
仕事仲間と恋愛関係になることはなんら問題ないが、プロデューサーが自分の番組の出演者ふたりと続けて性的な関係を持つというのは、なにを意味するのか。
いままで恋愛だと思っていたことの意味もがらっと変わってしまう。

勤めていた工場をリストラされ、しかたなく霊能者に戻ろうとするジョージ(マット・デイモン)。
兄は喜々としてこれからの仕事で使うオフィスを案内し、「この仕事が軌道に乗ったら、いまの仕事は辞めるつもりだ」と告げる。
いままで、兄は弟の特殊な才能を惜しんで霊能者の仕事をすすめているようにふるまっていたが、実は自分も儲け口にありつきたかったのが、ばればれだ。
などなど。

マリーとジョージの恋の予感を感じさせて話は終わる。
とってつけたようなへんなラストのような気もするが、ふたりを結びつけたマーカス(双子の兄弟を亡くした少年)が、自分の意思でだれかのために動いた結果だ、というほうが重要だろう。
背景のロンドンのカフェが美しい。

ラストの少し前。
マリーをホテルに訪ねるが留守だったので、メッセージを残すか? とフロントに聞かれるジョージ。
いったんは断るが、思い直してペンと用せんを借りる。
その次のシーンでは、ホテルの部屋に戻ったマリーが封筒を見つける。
メモかと思いきや、びっしり書いた数枚の便せんが見える。
親しくもない女性にどんだけ書いてんねん、暑苦しい、と思わずにやりとし、ジョージの気持ちがはっきり見える、このシーンも好きだ。

わたし自身は、死んだら電気が消えて真っ暗派だったのだが、祖母の死後はそう思わなくなった。
この映画で描かれているように、死後の世界は、白い光に満ちていて、自分で好きなように行動でき、やすらいだ気持ちでいられるところだといいな、と思う。
祖母は、晩年目が見えなくなった上に、認知症で、自分の視力が失われていることが理解できなくなっていた。
だから、よく「部屋が暗い。電気つけて」と言っていた。
祖母がいまいるところが、明るくてなんでもくっきり見え、好きな人と好きなところに自由に行けるような、そんな場所であってほしい。
映画を見ていちばん強く感じたのは、実は映画とは直接関係ない、そんなことだったりする。
明日は、祖母の誕生日だ。



メモ

邦題 ヒア アフター
原題 HEREAFTER
監督 クリント・イーストウッド
俳優 マット・デイモン
セシル・ドゥ・フランス
ブライス・ダラス・ハワード
関連書籍
劇場/媒体 Amazon プライムビデオ
だれと
観た日 2017/05/23

Footnotes   [ + ]